「豊臣兄弟!」(NHK)で秀吉に下った長宗我部元親。古城探訪家の今泉慎一さんは「元親の嫡男・信親は、秀吉の九州攻めに従い無謀な渡河作戦に巻き込まれ、22歳で戦死した。その合戦の場に行ってみると、正攻法なら勝てた戦いだと感じた」という――。

土佐の一豪族から「四国の覇者」へ

第25回:岡豊城(高知県南国市)・鶴賀城(大分県大分市)

「豊臣兄弟!」(NHK)第36話で描かれた「四国攻め」では、秀吉が四国の大半を勢力下に置いていた長宗我部元親ちょうそかべもとちかと戦った。1585(天正13)年、羽柴秀長を中心とする豊臣軍が四国へ侵攻。大軍を前に連敗を喫した元親は降伏。秀吉に臣従することで土佐一国を安堵される。

しかし、ここで長宗我部の物語が終わったわけではない。むしろここからわずか1年ほどの間に、同家の運命は劇的な展開を迎えることになる。

長宗我部家は、土佐国岡豊城(高知県南国市岡豊町八幡1099-1)を本拠とした戦国大名。元親の父・国親は、衰退していた家勢を立て直し、元親は1560(永禄3)年の初陣を経て家督を継いだ。

岡豊城
撮影=今泉慎一(風来堂)
南東に高知平野の一角である香長平野を一望する岡豊城。標高97.5mの岡豊山の山頂一帯が城域
岡豊城・三ノ段
撮影=今泉慎一(風来堂)
岡豊城・三ノ段。野面積の石垣は高さ1mほど

元親はその後、土佐国内の諸勢力を制圧し、1575(天正3)年までに土佐を統一。その快進撃はさらに続く。阿波、讃岐、伊予へと勢力を広げ、1585(天正13)年には四国の大部分を支配下に置くまでになる。元親が「四国の覇者」と呼ばれるのは、この急速な領国拡大によるものだ。

岡豊城・詰下段
撮影=今泉慎一(風来堂)
岡豊城・詰下段。ここにも石垣が残る
岡豊城・三ノ段外側の急斜面
撮影=今泉慎一(風来堂)
岡豊城・三ノ段外側の急斜面には深い竪堀が残る