基地より現実を選んだ 譲れないのは身柄引き渡し
9月13日の沖縄県知事選で、古謝玄太氏が初当選した。停滞していた沖縄の状態を考えると、ひとまずこの変化に期待したい。今回の知事選は事実上、2期8年務めた現職の玉城デニー氏と、自民などが推薦した新人・古謝氏の一騎打ちだった。結果は、古謝氏が過去最多の42万3124票を獲得し、玉城氏と約14万7000票の差をつけた。
新知事誕生の要因は2つある。まず米軍基地の移設問題だ。宜野湾市の普天間飛行場をめぐっては、1995年の米兵による少女暴行事件を機に、96年に日米が返還で合意し、移設先として名護市辺野古が浮上した。2006年には日米がキャンプ・シュワブ沿岸部への移設で合意。09年に鳩山政権(当時)が「最低でも県外」を掲げたが、10年に辺野古案へ回帰した。13年には仲井眞弘多知事(当時)が国の埋め立て申請を承認して、翌年から工事が始まった。しかし、県民の願いは県外・国外であり、14年の知事選以降、翁長雄志氏、玉城氏と移設反対派の知事が続く。両知事は法廷でも争ったが敗訴が相次ぎ、工事は続いた。
一方、古謝氏は移設容認派である。ただし、古謝氏とて積極的に基地に賛成しているわけではない。04年には普天間基地のすぐ隣にある沖縄国際大学に米軍のヘリコプターが墜落する事故があった。普天間基地のまわりには多くの住民が暮らしていて、安心できる環境ではない。それならば海沿いのキャンプ・シュワブに移設したほうが危険性を減らせるという現実的な判断で、辺野古移設を容認していた。
辺野古移設が争点の一つだったが、残念ながらこの問題は県政のレベルを超えていると言わざるをえない。1972年の沖縄返還で戻ったのは施政権であり、米軍基地はほぼそのまま残った。基地は日米安保条約と地位協定のもとで、引き続き米軍が使っている。
佐藤栄作首相(当時)は自ら非核三原則を掲げながら、ニクソン大統領(当時)との密約で、有事の際の沖縄への核再持ち込みを認めていた。佐藤首相はこうした実態について明らかにしないまま沖縄返還を誇り、ノーベル平和賞まで受賞した。都合の悪いところは黙っていたのだから、沖縄県民や日本国民は騙されたようなものだ。
アメリカは基地を自国の都合で手放すことはあっても、相手国に求められただけで返すことはまずない。フィリピンに対して、アメリカはクラーク空軍基地を91年に返還したが、直接の理由はピナトゥボ山の噴火で基地が使えなくなったことだった。また、スービック海軍基地はフィリピン上院が基地条約を否決して返還に至ったが、それも冷戦終結で基地の価値が下がった時期だからこそ実現した。
こうした国際政治の現実を前に、県で基地返還の意思表示をしたところで事態を変えることはできない。
やれるとしたら反基地運動を国民に広げて政府を動かすことくらいだが、それができたとしても政府に交渉力がないからどうにもならない。根本的な解決が望めないなら、少しでも危険性が減らせるところで妥協したほうがいい。県民がそのような判断を下したのが今回の知事選だった。
一方、県民が妥協できないものもある。警察権、つまり日米地位協定にもとづく刑事裁判権と身柄引き渡しの問題だ。10月3日、那覇市のホテルで米兵による強盗殺人事件が起きた。今回は日本の警察が逮捕できたが、容疑者が基地に逃げ込んでいたら捜査は難しくなっていた。この種の事件がいっこうになくならないことが県民をいら立たせている。綱紀粛正を求めるだけでは手ぬるい。古謝知事は政府を動かし、米軍とも直接渡り合って、身柄引き渡しを確実にできるかどうか。それが最初の試金石となる。
予算増額に喜んでいては沖縄の本当の発展はない
玉城前知事の敗因はもう一つある。経済だ。2023年度の沖縄の1人当たりの県民所得は231.5万円だった。国民所得352.1万円を100とすると65.7という低水準で、全国最下位である。玉城前知事が就任した18年度の所得水準73.1と比べても下がっている。玉城県政は沖縄経済を浮揚させるどころか、さらなる停滞を招いた。辺野古移設問題で玉城前知事に共感していた県民も、背に腹は代えられない。「県民所得500万円」を掲げた古謝氏が魅力的に映ったのは致し方ないところだ。
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