側島製罐 6代目代表取締役 石川貴也
1986年、愛知県生まれ。2011年、慶應義塾大学経済学部卒業後、日本政策金融公庫入庫。20年、側島製罐入社。23年より現職。
「おまえの親父の正体、すぐにわかるからな」
2020年、家業の側島製罐に入った初日、社員にそう言われました。明治39年創業で、お菓子や海苔などのブリキ缶をつくる会社です。6代目ですが、日本政策金融公庫で中小企業支援をしていて、継ぐ気はありませんでした。転機は父の検査入院でした。万一のとき継ぐ人がいないと痛感し、33歳で入社を決めました。
入ってみると、部署同士で悪口を言い合い、誰もが怒っていました。売り上げは20年間で15億円から5億円を切るまで減り、1個100円ほどの缶で相見積もりの値下げ競争を続けても先はありません。給料は上がらず、みんなが犯人を探していました。でも、怒るのは期待があるからですよね。理想と現実にギャップがあるから怒る。だとすれば、この会社にはまだ可能性がある。私の火がついた瞬間です。
とはいえ最初は空回りの連続でした。メーカー経験もないのに力不足を立場で補おうとして社員を怒鳴り、「辞めてやる」と言われたこともあります。肩書を外せば私には何の力もない。そう認めて、社員に頼ることにしたんです。父とも当初は衝突しました。ただ父は祖父の急死で自由のないまま家業に入り、50年ほど働くなかで株や土地を整え、次の世代が動けるようにしてくれていた。いまは感謝しています。
再建で決めたのは、間違ったことで延命するくらいなら潰れたほうがいいということです。正すべきことを正して赤字になるなら、そこが出発点です。原点は前職の営業です。数字を追っていたころは仕事が取れず、相手の困りごとを考えるようになって数字がついてきた。数字は困りごとを解消した量にすぎません。会社も「潰さないように」と思った瞬間に存続が目的になり、社員やお客さんが抜け落ちます。
今年、創業120周年の社史をつくりました。配って終わりではなく、お金を出してでも読みたくなる本にしたかった。俵万智さんの短歌やデザイナーの原研哉さんとの対話に加え、70年以上缶をつくる社員の話も載せ、クラウドファンディングでは1000人超が支援してくれました。父や私を主役にはしていません。物語を継いでいるのは、私の家族だけではないからです。
だから子どもに継げと言うつもりはありません。熱量のある人が継げばいい。大事なのは、灯を消さずに渡すことです。22年に出した「Sotto」は、へその緒や初めての靴など、子どもの思い出をしまっておく缶です。缶は家族の物語をつなぐ道具にもなる。オープンファクトリーには社員の家族も大勢来てくれました。小さな接点が、次の火種になると思っています。
灯は、消さないことより渡すことが大事だと感じた。自社の歴史を社会にひらき、社史を誰もが読める本にする。その二つの薪を、来年創業140周年を迎える三星グループでも、くべてみたい。
聞き手
三星グループ5代目社長
岩田真吾
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