父の「戻ってこないのか」で家業へ

話は少し脇道に逸れるが、三木社長は慶應義塾大学時代に起業し、留学支援サービスの会社を仲間とともに立ち上げた。事業はおおむね順調だったが、卒業のタイミングで進路を考え、家業に戻ろうと考えた。それとなく父親に相談したところ、「別に帰ってこなくてもいい」と言われた。想定外の回答だったが、食い下がることもなく、三木社長はそのまま東京に残って留学ビジネスを続けることに。

そこから事業は大きく成長し、海外に拠点を設け、三木社長自身もロンドンに移住していた。すると、今度は父親から連絡があり、「戻ってこないのか」というのだ。

「連絡をもらった頃、父は病気になり、一時入院もしていました。ウソか本当かわからないけど、銀行の送金も全部止まって大変だというのです。それでものらりくらりと2年ほど返事を保留していると、『さすがにほんま決めてくれ。帰ってこないならそれでいい。どちらかはっきり決めてほしい』と詰め寄られました」

迷った末、最終的に家業に入ることを決めた。それは大きく2つの理由からだ。

「一つは、大好きだったおばあちゃんが小さい頃から『健が後を継がないと』と言ってくれていました。それと、正直、浪人してまで大学に行かせてくれたのは本当に三恵メリヤスのおかげ。もう一つは、留学ビジネスの会社が当時絶好調で、伸びている時であれば離れても大丈夫だろう、パートナーに託しても受け入れてくれるんじゃないかなという考えがありました」

給料を入れれば赤字、工場には宝が

2014年、三木社長は大阪に戻り、三恵メリヤスに入社する。三木社長が帳簿を見ると700万円ほどの黒字だった。赤字ではなかったことにホッとするのも束の間、自分自身の人件費を入れると、赤字に転落するのは見えていた。ただ、そうした中でも会社の雰囲気は明るく、従業員は生き生きと働いていた。これが希望だった。

そして、さらなる希望が三木社長にもたらされることになった。入社してまもない頃、自社商品の説明を受けた三木社長はスウェットの製造技術に驚きを隠せなかった。他社ではどこもやっていない吊り編みでいまだに作っていたのだった。希少価値のあるものづくりを実践していたのである。

仕入れの糸にもこだわりがある
筆者撮影
仕入れの糸にもこだわりがある

しかし、この事実は当時、ほとんど世の中には知られていなかったという。そうであれば、自分自身がまずはこれを広報することで、会社の役に立つのではと考えた。