ここまでする理由は何か。それは、ものづくりの文化を守るため。
「EIJIに携わる会社は毎年のように入れ替わっています。だけど、お客さんから見たらそれは関係ないですよね。お客さんにはそんな悲しみを背負いながら洋服を着てほしくない。でも、ふと気になった時に『こういう工場で作っていたんだ』とか、『この技術は素晴らしい』とか思ってもらえれば、関わってくれた人たちへの恩返しになるかなと」
三木社長がそう語る背景には、家業に戻った直後に痛感した、ある現実がある。工場として指名されなければ、どれだけ良い技術を持っていても仕事は来ない。
「工場として指名がもらえければ駄目だということ。優れた技術があっても需要がなければ廃業してしまう。こうした状況をどうにかなくしていきたい。あそこの工場にお願いしたいと思ってもらうことがこれからの挑戦ですね」
守り続けた技術が最先端に
1980〜90年代、もし三恵メリヤスが中国に進出していたら、どんな未来が待っていたのだろうか。
「こうはなってないです。マスのど真ん中で、値段が安い商品を大量生産するという勝負をしなければいけませんでした。それをしないとはっきり決めたことが、三恵メリヤスの生きざまになりました。ここが大きなターニングポイントでした」
三木社長は続ける。
「でも、その後は辛かったですね。職人の仲間たちと共にずっと温め続けてきた技術が時代から取り残されてしまって……」
しかし、粘っていれば、再びチャンスは訪れる。まさに今、三恵メリヤスらの古い技術に光が当たり、海外からも買い付けが来るような、最先端のファッショントレンドとなっている。
あの一枚のシャツは、そうした職人たちの技術と覚悟の結晶でもある。だからこそ、この技術を、文化を、仲間を守り抜く。三木社長の信念は、揺るがない。
検索時に関連する記事が表示されます



