「辞めます」と店を飛び出しても「戻ってこい」
象徴的なのが、独立直前の出来事だ。
オープン1カ月前、4度目の限界が訪れる。ついに「辞めます」と告げ、そのまま店を去った。
「辞めると出ていったは良いものの、お店のオープン日は決まっていたので、重圧で焦りを感じていました。Kiriyaのようなラーメンはもう出せないし、製麺機もいただく予定だったので、手打ちでやるしかないか……そんなことを考えていました。戻ってこいって電話が来るかもしれない、でもさすがに4回目だからもう来ないか……どうしよう……そんなことを考えていたらマスターから電話がありました」
師匠の言葉は「最後までやりきれ、俺は見捨てない、戻ってこい」だった。貴志さんはほっとして「はい、戻ります」と伝えたという。厳しくも人一倍愛情をもって接してくれた師匠だった。
店をオープンして間もない頃。仕込みや営業で余裕のない中、師匠は自らの店の営業があるにもかかわらず、わざわざ30分以上かけて様子を見に来る。差し入れを持って顔を出し、「どうだ」と声をかける。SNSに上がる写真を細かくチェックし、「最近の盛り付け雑じゃないか」と指摘が飛ぶこともある。
厳しさは、独立しても終わらない。だがそれは、見放さないという意思の裏返しでもある。
「人一倍優しいから、人一倍厳しいんだと思います」
貴志さんはそう振り返る。
この修業で身に付けたのは、技術だけではない。仕事への向き合い方、細部への執着、そしてやり切る覚悟。そのすべてが、今の一杯に宿っている。
