一夜城で戦わずして勝利
種実が退いた先は7~8km南西の古処山城(図表5⑤福岡県朝倉市秋月野鳥)。標高859mの山城から北方は益富城はもちろん、筑豊一帯が見晴らせる。種実はこの城から敵の動きを見つつ体勢を立て直したかったのだろう。
ところが、破却したはずの益富城がなんと、一夜にして復活してしまったのだ。秀吉は、地域住民を動員してかがり火を焚かせ、町中の戸や障子を城内に運ばせ、あっというまに「仮城」を築いた。
あくまでハリボテの城だったのだろうが、7~8km離れていれば細部まではわからない。ハッタリでもなんでも、巨大な建物がドカンと出現すればいいのだ。「どうじゃ!」とほくそ笑む秀吉の姿が眼に浮かぶ。
岩石城は一日にして落城し、益富城は一夜にして復活。元々、負けを覚悟の相手だったが、種実が本格的に戦わずして降伏を申し出たのも無理もない。
秀吉にしてみれば、その後の島津との激突を前に、大軍を温存したまま戦わずしての大勝利。墨俣城、石垣山城を上回る秀吉の「一夜城作戦」が最も効果を発揮したのは、益富城だったといって間違いない。


