「桶狭間」がふたつある?
第2回 沓掛城(愛知県豊明市)・大高城(愛知県名古屋市)
大河ドラマ「豊臣兄弟!」(NHK)の第4話は桶狭間の戦い。戦国時代の合戦でも5本の指に入る、どメジャーな合戦だ。一方で、いくつもの謎に包まれた合戦としても知られている。大軍の今川軍に、寡兵の織田軍が「いちかばちか」の奇襲を仕掛けて大成功、という説は、最近では「創作」という認識が共有されつつある。雨や靄が織田軍に味方したのは事実だろうが、奇襲ではなく正面からぶつかり、一気呵成に大将の首を取ったとの説が有力だ。
一方で、今なお残る謎もいくつかある。その中でも最大のものが、「今川義元は、どこで討ち取られたのか?」だ。「桶狭間の戦いの主戦場はどこだったのか?」と換言してもいいかもしれない。なにしろ、「桶狭間古戦場」と称される場所が、愛知県西部、尾張・三河の国境付近に、少なくとも2カ所存在するのだ。
決戦直前までの動き
今川義元終焉の地に触れる前に、まずは両軍の決戦直前の両軍の布陣と進軍ルートを確認しておきたい。
1560(永禄3)年5月12日、駿府を出発した今川義元率いる約2万5000人の大軍は西上。5月18日には今川軍の前線基地、沓掛城(図表1の①愛知県豊明市沓掛町東本郷11)に入る。そしてさらに西進し、「おけはざま山」に布陣。一方の信長は5月19日未明、清洲城を出立。午後には約2000人の兵を引き連れ最前線にたどりつく。そして決戦へ――。
「おけはざま山」があったとされるのは、現在の愛知県名古屋市緑区と豊明市の境界あたり。大池と呼ばれる広大な池に面した丘陵地で「西山」という地名。現在では宅地化が進んでいるが、こんもりとした丘は、確かに大軍が陣を敷くにふさわしい地形に見える。諸説あるものの、「桶狭間古戦場公園」(図表1の②愛知県名古屋市緑区桶狭間北3-1001)の西側あたりが義元本陣だったと推定して、ほぼ間違いないだろう。
ちなみに「緑区桶狭間」といった行政上の地名もあり、なんと名古屋市立桶狭間小学校まで存在する。この小学校があった場所は、今川方についた井伊直盛隊1000人が布陣した場所「巻山」と伝わる。桶狭間で討死した直盛は、2017年の大河ドラマ「おんな城主 直虎」の主人公、井伊直虎の父でもある。
問題は、信長軍の襲撃を受けた義元が、ここからどの方向へ撤退したか、だ。


