「役満」や「倍満」より「リーチ・ツモ・ドラ1」
2025年11月に文藝春秋から『勝負眼』という本を出しました。「週刊文春」で僕が連載しているコラムを一冊にまとめたもので、連載のほうのタイトルは「リーチ・ツモ・ドラ1」。麻雀を知っている人ならピンとくる言葉だと思いますが、この言葉には僕なりのある思いを込めています。
麻雀には「役満」や「倍満」といった派手な大物手があります。卓上の華であり、一発逆転の派手さに誰もが惹かれる手でしょう。しかし、実際の勝負において、あるいは社会生活において本当に必要なのは、地道に最後まで諦めずやり抜く姿勢です。いきなり大物手を振りかざして一攫千金を狙うのではなく、一歩一歩を確実に、手堅く積み重ねていく――。そんな「謙虚さ」や「着実さ」こそが、長く勝ち続けるためには不可欠です。つまり、「リーチ・ツモ・ドラ1」とは、派手さはないけれど、まずはそのくらいから一歩ずつ積み上げていこう、そんな思いを込めたタイトルなのです。
そして、「勝負強さ」について考える時、どうしても避けて通れないのが、「運」という要素とどう向き合うか、というテーマです。まず大前提として、僕は「運は平等なものだ」と考えています。世の中には「運がいい人」と「運が悪い人」がいる、と多くの人は信じています。あの人はいつもツイている、自分はいつも貧乏くじを引かされる、というように。でも、僕の感覚は違います。運というのは、実は残酷なほど「平等」なものです。
僕は学生時代から麻雀にのめり込み、痺れるような勝負の場に身を置き続けてきました。そうやって何万回、何十万回という局数を重ね、膨大な数の勝負のサンプルを見てくると、ある一つの真理のようなものに気づかされます。それは、「いい時と悪い時は、誰にでも必ず訪れる」ということです。
極端に運だけで勝ち続けている人もいなければ、一生運に見放され続けている人もいません。短期的に見れば、確かに偏りはあります。信じられないようなラッキーが続くこともあれば、理不尽なアンラッキーが重なり、何をしても裏目に出る時期だってあるでしょう。しかし、長いスパンで見れば、確率は驚くほど平均値の中央付近に収束していきます。結局のところ、一生のうちの「運の総量」は、誰にとっても同じようなものです。
多くの人は運に翻弄されています。麻雀でもツイている時は自分の実力だと過信して調子に乗り、守りが弱くなる。逆にツイていない時が続けば、不貞腐れてやる気をなくし、投げやりになる。運の波に感情を揺さぶられ、自制心を失い、自ら崩れていくわけです。
一方、麻雀が本当に強い人は、運が平等であることを理解しています。だからこそ、予測できない運の波に一喜一憂しません。「いい時」と「悪い時」のそれぞれに適した戦い方があることを知っていて、それを徹底できる。勝てる時にいかに大きく勝つか、負ける時にどれだけ負けを抑えられるか。これは「勝負強さ」の正体の一つです。
麻雀の世界ではよく「運7割、実力3割」と言われます。どんなに強いトッププロでも、今日ルールを覚えたばかりの素人に負けることがあるのが麻雀です。将棋や囲碁ではありえないことですが、麻雀ではそれが起こりうる。
そのように7割も運に支配されているゲームなんて、真剣にやるだけ無駄だと思う人もいるかもしれません。
でも、僕の考え方は逆です。運が7割ならば、その部分で差をつけるのは不可能です。しかし、残りの「3割」の実力部分、つまり才能や努力、精神力の部分で、長期的には他人と必ず差がついていく。しかも大きく差がつく。そのように考えています。明日の天気をコントロールできないように、運はどうしようもありません。だからこそ、自分にコントロールできる「残りの3割」をどれだけ徹底できるか。
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