※本稿は、高橋和夫『イランとアメリカ、そしてイスラエル 「ガザ以後」の中東』(朝日新書)の一部を再編集したものです。
中東勢力の構図が崩れたきっかけ
中東の国際政治を規定してきた構図が崩れた。その構図とは何か。
その構図の中では、一方でイスラエルと、それを支えるアメリカがおり、その周りに親アメリカのアラブ諸国がいた。ヨルダン、エジプト、アラビア半島の産油諸国などである。
他方で、これと対抗するイランを中心とする勢力がいた。パレスチナ・ガザのハマス、レバノンのヒズボラ、シリアのアサド政権、イラクのシーア派の民兵組織、そしてイエメンのフーシー派などである。
そして、そのどちらにも属さずに、双方と関係を維持して影響力を行使してきた国々がある。トルコとロシアと中国だ。
この構図が崩れた。その過程を振り返ろう。そのきっかけは、もちろん2023年10月、“ガザの爆発”である。同月7日にガザを支配するハマスがイスラエルに奇襲攻撃をかけた。
そしてイスラエルが反撃した。そこから、中東情勢が大きく動き始めた。イスラエルは、ハマスに激しい攻撃を加え軍事面で大きな打撃を与えた。2023年11月下旬から12月上旬までの1週間の短い停戦をはさんで、その前後15カ月にわたって攻撃が続いた。
その後の2025年1月に二回目の停戦が発効した。だがイスラエルは3月に停戦を破りガザへの攻撃を再開した。またガザへの物資の搬入を停止した。ガザは飢え渇いた。そして10月に三回目の停戦が始まった。イスラエルによる攻撃が完全に収まったわけではないが、殺戮のレベルは大幅に低下した。そして2026年1月末現在まで、なんとか「停戦」が維持されている。
“ガザ爆発”の周辺国への類焼
ガザの戦争は、すぐに周辺へと広がった。ハマスがイスラエルを奇襲した翌日、つまり2023年10月8日にヒズボラが、やはりイスラエルへの攻撃を開始した。ハマスに連帯しての参戦だった。ヒズボラは、イスラエルの北の隣国レバノンの南部を拠点とするイスラム教シーア派の組織だ。
イスラエルも直ちに反撃した。こうしてイスラエルは南ではガザのハマスと、北ではレバノンのヒズボラと交戦状態に入った。
ヒズボラとイスラエルは、小規模ながら軍事衝突を繰り返していた。低レベルながら交戦状態が、その後も続いた。
イスラエルとヒズボラが交戦状態に入った11カ月後の2024年9月に、イスラエルのヒズボラに対する大攻勢が始まった。そしてイスラエルは、ヒズボラに大きな打撃を与えた。ついに同年の11月末にはヒズボラはイスラエルとの停戦に応じた。
この停戦の発効の日の未明、シリアでは反体制派が攻勢を開始した。シリア政府軍は、ほとんど戦わずして総崩れになった。そして翌月の12月8日には首都ダマスカスが陥落してアサド政権が崩壊した。2週間足らずで1970年代から半世紀も続いたアサド親子二代にわたる独裁が終わった。
