中東・ガザ地区では現在も紛争が続いている。諍いはなぜ始まり、なぜ終わらないのか。ジャーナリストの池上彰さんは「第1次世界大戦においてイギリスがユダヤ人にもアラブ人にもいい顔をしたのがすべてのはじまりだ」という――。

※本稿は、池上彰『知らないと恥をかく世界の大問題 学べる図解版 新版 池上彰が読む「イスラム」世界』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

壁に描かれたイスラエルとパレスチナの国旗
写真=iStock.com/Yuliia Bukovska
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イギリスがオスマン帝国のアラブ人に「国をつくる」と約束

現在につながる中東問題の種を撒いたのは、イギリスです。

それは第2次世界大戦よりもっと前、第1次世界大戦に遡ります。20世紀は「石油の世紀」ともいわれます。20世紀になり、イギリスは、オスマン帝国を追い込み、中東を自らの勢力圏に取り込もうとしていました。

第1次世界大戦でオスマン帝国と戦っていたイギリスは、オスマン帝国支配下にあったアラブ人たちに反乱を起こさせようと、1915年、「フサイン・マクマホン書簡」を取り交わします。「もし、オスマン帝国の中のアラブ人が反乱を起こしてオスマン帝国を倒したら、イギリスはここにアラブ人たちの国をつくることを約束する」という内容です。

メッカを守っていたハーシム家のフサインと、イギリスのエジプト高等弁務官だったマクマホンが書簡の形で交わしました。

フランス・ロシアとも領地の山分けを提案

その一方でその翌年の1916年、イギリスはフランスおよびロシアとの間で「サイクス・ピコ協定」という秘密協定を結びます。「戦争に勝ったら、旧オスマン帝国領の中東地域をイギリス、フランス、ロシアで分割しよう」という密約です。イギリスの政治家で中東専門家としても知られたマーク・サイクスと、フランスの法律家で外交官だったジョルジョ・ピコが原案をつくりました。

密約だったのに、なぜバレたのか。サイクス・ピコ協定が結ばれた翌年、1917年にロシア革命が起きたからです。革命を起こしたレーニンが、「なんと、ロシア帝国はイギリスとの間で秘密協定を結んで、中東地域を分割しようとしているぞ」と暴露したのです。

ウラジーミル・レーニン(1920年7月)
ウラジーミル・レーニン(1920年7月)(写真=Pavel Zhukov/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

ロシアとしては、「こうした帝国主義的な取り組みには参加できない」と、協定から離脱したため、イギリスとフランス2国間の協定となります。

その取り決め通り、現在のイラクやクウェート、あるいはパレスチナのあたりはイギリスのものとなり、シリアやレバノンのあたりはフランスが領有することになりました。第1次世界大戦後、中東はイギリスとフランスが分割支配することになったのです。