岐阜のTシャツ印刷工場「坂口捺染」は、かつて地元で敬遠される職場の一つだった。暑い、狭い、臭い、男だけ。薄利多売の業界で人は集まらず、定着もしない。それが今、求人広告ゼロでも人が集まる人気職場に生まれ変わった。その理由はどこにあるのか。インタビューライターの池田アユリさんが、3代目社長・坂口輝光さんを取材した――。
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従業員とポーズを決める坂口社長(右)

人手不足とは無縁の町工場

岐阜県の山里に囲まれた工場を訪れると、79歳と18歳の従業員が隣り合って作業に打ち込んでいた。

79歳男性は、昨年、妻の介護から復帰したばかりの最年長従業員だ。カメラを向けると裏ピースをつくり、若者たちは笑顔で応えてくれた。年齢も境遇もまるで違う人たちが一緒に働く。これが工場の日常だ。

Tシャツプリント加工会社の「坂口捺染さかぐちなせん」は、衰退産業とも呼ばれるアパレル加工業界にありながら、年齢・国籍・健康状態・雇用形態を問わない「多様性採用」を徹底している。

例えば、高齢者、シングルマザー、ハンディキャップのある人、引きこもりを経験した人、現在病気の治療をしている人など、“働きづらさ”を抱える人を積極的に受け入れている。

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10代と79歳の従業員。溌剌とした姿が印象的だった

3代目社長の坂口輝光てるみつさんは、従業員の高齢男性と肩を組み、「このおっちゃんは俺に畑の一角を買わせて、休憩中に自家栽培しとるんだわ。おもろいやろ」と笑う。男性は「今はサツマイモが採れる。大根もおいしいよ」と誇らしげだ。

人手不足が叫ばれるなか、坂口捺染には“働きづらさ”を抱えた人たちを含めて約200人が集まり、応募も途切れない。なぜこの町工場には、人が自然に集まり続けるのか――。

社長らしからぬ“緩い空気”

この会社の採用の基準は、会社の都合ではなく「社会の現状」だ。特に子育て世代やシニア層など、働きたくても働きにくい人たちに目を向けているという。「働けない人たちがおるんやったら、うちがそういう会社になれば困らないやんっていう考えなんだわ」と坂口さんはあっけらかんと語る。

坂口さんは約200人の従業員の顔と名前、性格をすべて把握している。通りかかる従業員には「元気しとる?」と声をかけながら、「あいつ、年中パーカー着とるんだわ。変わっとるやろ」「あの子はな、ずっと引きこもりだった。今頑張って働いとる」と、背景まで私に教えてくれた。

坂口さんの風貌も相まって、その物言いはどこか憎めない。彼と話す従業員たちも目上の人と話しているというより、近所のお兄さんと話しているような自然な距離感だ。この心地よい“緩さ”こそが、幅広い人たちを受け入れ、結果として人が集まり続ける組織文化を生んでいる。

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作業するスタッフを見つめる坂口さん