義元が来た道を引き返していたら

撤退を決めた義元が目指すとしたら、まずは近隣の味方の城だろう。有力な説は2つある。ひとつ目は、進軍ルートをそのまま引き返し、北東へと向かったというもの。目指すは前日に滞在した沓掛城くつかけじょうだ。

おけはざま山から直線距離にして1km弱。愛知県豊明市、名鉄中京競馬場前駅のすぐ南に「桶狭間古戦場 伝説地」の碑が立つ公園(図表1の③愛知県豊明市栄町南舘11)がある。

園内の木立にひっそりと立つ今川義元の墓
撮影=今泉慎一(風来堂)
園内の木立にひっそりと立つ今川義元の墓
主君とともに討死した今川家重臣・松井宗信の墓。公園西側の高台上、高徳院の墓地内に立つ
撮影=今泉慎一(風来堂)
主君とともに討死した今川家重臣・松井宗信の墓。公園西側の高台上、高徳院の墓地内に立つ
公園西、道路を挟んで向かい側斜面の「お化け地蔵」。1853(嘉永6)年、地元に現れる亡霊を鎮めるために尾張藩士により建立された
撮影=今泉慎一(風来堂)
公園西、道路を挟んで向かい側斜面の「お化け地蔵」。1853(嘉永6)年、地元に現れる亡霊を鎮めるために尾張藩士により建立された

確かに、来た道を引き返すのはいかにもありそうだ。公園の西側、重臣・松井宗信の墓がある高徳院は、広い意味では、おけはざま山から続く丘の北東端の崖上。急斜面を転げ落ち、この公園あたりで討ち取られたとしたら――。「いかにも」なシーンが思い浮かぶが、あくまでこれは筆者の想像でしかない。