関東にもあった「一夜城」
「墨俣以外に秀吉が作った一夜城は?」と問われれば、歴史好きならすぐに思い浮かぶ城があるはず。1590(天正18)年の小田原征伐の陣城・石垣山城(図表3②神奈川県小田原市早川1383-1)、通称「石垣山一夜城」だ。
敵地に乗り込んで戦を行う際に築かれるのが陣城。にもかかわらず、総石垣で規模も広大。急造されたとはとても思えないほど立派なのは、この時すでに秀吉はほぼ天下を手中にしていたから。小田原征伐は、天下統一の総仕上げ。全国から大半の戦国武将たちを総動員した「勝ち確」の合戦だったのだ。
石垣山城の築城時、既に小田原城の周囲は総勢10数万もの秀吉軍が包囲していたので、墨俣のように敵に妨害される恐れはない。
木立に隠れて着々と作業を進め、完成してから樹木を一挙に伐採。ある日突然、総石垣の城が出現したことに驚き、籠城中の北条軍は戦意喪失。「降伏やむなし」との結論に至った――というのが、石垣山城の「一夜城」エピソード。これもまた、伝説の範疇を出ない話だが、墨俣城よりは信ぴょう性がありそうだ。
一般的によく知られているのはこのふたつだが、実はもう一つ、「一夜城伝説」が残る秀吉ゆかりの城がある。小田原征伐から遡ること3年前、1587(天正15)年、九州平定の際のことだ。





