いい執着と悪い執着の違いは何か。浄土真宗本願寺派僧侶の増田将之さんは「自分の成長や能力の向上を目指すためのモチベーションになる物欲なら、大いに持つべきだ。一方で、虚栄心から『あれも欲しい、これも欲しい』となると、いつまで経っても心が満足しないから注意が必要だ」という――。
※本稿は、増田将之『その悩み、ただの執着』(三笠書房)の一部を再編集したものです。
何も持たずに浄土で会う
お墓参りに行って、「倶会一処」の文字が刻まれたお墓を見たことがないでしょうか。
倶会一処とは浄土三部経の「仏説阿弥陀経」という、ご法事や法要などでよくお勤めされるお経に出てくるものです。噛み砕くと、
「阿弥陀さまは私たちが必ず浄土に往生し、仏になることを誓ってくださいました。死して後は、浄土の人々とともに一つ処に会同しましょう」
というような意味です。
そのとき、この世で得たものはすべて、お金も物も、地位も名誉も、置いていきます。どんなに執着しようとも、死んで浄土に行くときは“手ぶら”と相場が決まっているのです。
何も持たずに生まれ、死んでいく――禅語でいうならば「人は本来無一物」という真理に立つと、あらゆるものに対する執着が消えていくのではないでしょうか。
けれども生きている間は、金銭欲・物欲への執着を無理して手放すことはありません。矛盾するようですが、「いい執着の仕方」というものがあるのです。

