信長は叔父と結んで清須を奪う

守護代・清須織田家の当主は織田彦五郎であるが、実権は坂井大膳ら宿老が握っていた。信長は叔父の織田信光と謀略を巡らして、坂井大膳を追放。信光は守護代・織田彦五郎に切腹を迫り、清須織田家は滅んだ。

一方、岩倉織田家は斎藤義龍と組んで、しばしば信長に対して敵対行動を見せた。

そこで、信長は岩倉城(岩倉市下本町)攻略のため、岩倉城の背後、北西ほぼ4kmの浮野(一宮市千秋町浮野)に布陣。攻城戦の末、岩倉城を陥落させた(陥落時期には諸説あり)。

実の弟・信勝を殺し、得た地位

信長に敵対する織田一族は、岩倉織田家を除けば、弟・信勝だけになった。すると、信勝附の家老・柴田勝家(山口馬木也)が、信勝が信長に対して謀叛を目論んでいると讒訴ざんそした。どうやら信勝が男色の相手にして肩入れして、柴田を軽んじたことで、家中に内紛が起こったらしい。これを聞いた信長は、永禄元(1558)年11月、仮病を使って信勝を清須城に招き入れ、殺害した(切腹させたともいう)。

かくして、信長は清須織田家を統一し、反乱分子になりそうな弟・信勝の存在を抱えながら、岩倉織田家を倒した。そして、信勝を暗殺することによって、尾張の武士を傘下に収めた。ただしその後、従兄弟の犬山城主・織田信清が美濃斎藤家に調略され離反。この犬山城攻略の過程が「豊臣兄弟!」の大沢次郎左衛門調略として描かれたのだ。

ちなみに、岩倉織田家の旧臣で、信長家臣団で出世した人物はいない。信長の人材登用は人物本位の実力主義と言われているが、尾張の半分を治めていた岩倉織田家中に、優れた人物が一人もいないというのは考えられないので、信長の人材登用観は見直すべきだろう。岩倉織田家の旧臣で著名な人物としては山内一豊・前野長康(渋谷謙人)がおり、蜂須賀小六(高橋努)も岩倉旧臣だったらしい。

名古屋まつりでのNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」織田信長役・小栗旬(左)と豊臣秀長役・仲野太賀。2025年10月19日、名古屋市
撮影=川島英嗣
名古屋まつりでのNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」織田信長役・小栗旬(左)と豊臣秀長役・仲野太賀。2025年10月19日、名古屋市
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