「豊臣兄弟!」(NHK)で信長(小栗旬)は妹のお市(宮﨑あおい)を近江の大名・浅井長政に嫁がせる。系図研究者の菊地浩之さんは「実は長政には前妻がいた。大河ドラマが描くように嫡男の万福丸は、お市の子ではないという見方もできる」という――。
浅井長政像(部分)、17世紀、高野山持明院所蔵
浅井長政像(部分)、17世紀、高野山持明院所蔵(写真=CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

「あさい」ではなく「あざい」

大河ドラマ「豊臣兄弟!」第10話で織田信長(小栗旬)の妹、お市の方(宮﨑あおい)が浅井長政あざいながまさ(中島歩)と婚姻する。

浅井家は近江国浅井郡(滋賀県長浜市・米原市付近)を発祥とする北近江の有力な国衆である。旧来「あさい」とされてきたが、現在では「あざい」と呼ばれている。

近江は北近江を京極家、南近江を六角家が守護を務めるお国柄だが(半国守護)、応仁・文明の乱以降、京極家も家督相続をめぐって内紛が起き、浅井亮政すけまさが北近江の国衆を束ねて美濃斎藤家と連携し、京極高清を擁立。京極家の執権となった。浅井家の居城として有名な小谷おだに城(滋賀県長浜市)は、亮政が高清を招聘しょうへいするために築いたという。

京極高清が死去すると、子の京極高広と養子・京極高吉の家督相続争いが勃発。高吉が南近江の守護・六角定頼と結んで挙兵。一方、浅井家では亮政の婿養子の浅井明政が高広派、庶子の浅井久政ひさまさ(榎木孝明)が高吉派(六角家)につき家督を争った。結局、六角家の支持を得た京極高吉・浅井久政が勝利。京極高吉は六角家の支援を得ながら京極家の再興に努めた。

長政は元服直後に結婚していた

かくして、浅井家は久政時代に六角家の支配下にあった。久政の嫡男、浅井長政は当初、浅井賢政かたまさと名乗っていた。永禄2(1559)年の元服時に六角義賢よしかた(定頼の子。号・承禎)から偏諱へんきを受けたからだ。そして、六角重臣・平井定武の娘と結婚した。

しかし、賢政はほどなくして六角家とたもとを分かち、妻を離別して平井家に帰したという。そのとき妻を離縁し、平井家に帰したと伝わる。大河ドラマなどでは省略されがちだったが、浅井家のプリンスは実はバツイチだったのだ。

永禄3(1560)年、久政は35歳の若さで賢政に家督を譲り隠居。翌永禄4年5月頃、賢政は織田信長から偏諱を受け、浅井長政と改名。信長の妹・お市の方と婚約した。

ただし、両者の婚儀がいつ行われたかはハッキリしない。宮島敬一著『浅井氏三代』では以下の7つの説を紹介し、「およそ永禄二年六月以降遅くとも同六年を下らない早い時期が考えられる」と結んでいる。

① 永禄2(1559)年6月説 (『川角太閤記』)
② 永禄4(1561)年説(『東浅井郡志』)
③ 永禄6(1563)年説(高柳光寿『青史端紅』)
④ 永禄7(1564)年3月説(『続応仁後記』『浅井三代記』)
⑤ 永禄11(1568)年4月説(『総見記』)
⑥ 永禄10(1567)年末~11年説(奥野高広「織田信長と浅井長政の握手」)
⑦ 永禄11(1568)年4月説(小和田哲男『近江浅井氏の研究』)