「豊臣兄弟!」(NHK)では血を血で洗う激戦として描かれた「姉川の戦い」。系図研究者の菊地浩之さんは「ドラマで描かれたとおり、家康率いる徳川軍が浅井・朝倉軍に側面攻撃して勝利したが、現場の軍議にいなかった織田家臣がいる」という――。
名古屋まつりでのNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」織田信長役・小栗旬(左)と豊臣秀長役・仲野太賀。2025年10月19日、名古屋市
撮影=川島英嗣
名古屋まつりでのNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」織田信長役・小栗旬(左)と豊臣秀長役・仲野太賀。2025年10月19日、名古屋市

姉川は「家康公はすごかった」伝説

大河ドラマ「豊臣兄弟!」(NHK)で姉川の合戦が描かれた。概要だけ述べると、元亀元(1570)年6月28日、近江(滋賀県)の姉川(という川)を挟んで、織田・徳川連合軍が浅井・朝倉連合軍と合戦に及び、織田・徳川連合軍が勝利した。高校の日本史の教科書にも出てくる有名な合戦である。

ただし、負けた浅井・朝倉家はその後に極端に零落したわけではなく、「あの合戦が転機だった」と関係者が語るような重要な分岐点ではなかった。有名な割には、歴史的な意義に乏しい合戦だった。ではなぜ、そんなに有名かといえば、徳川軍ががんばって、劣勢の織田軍を救ったからだ。そして、のちに徳川家が天下を取ったから、幕府の御用学者が盛大に徳川軍の強さをアピールしたに過ぎない。

ではなぜ、徳川軍はそんなに活躍できたのか? その理由を考える前に合戦のあらましを述べておこう。

実際にはどんな戦いだったか

「豊臣兄弟!」でも描かれたように、永禄13(1570)年4月、織田信長(小栗旬)は朝倉義景(鶴見辰吾)を討つため、越前に進軍。しかし、浅井長政(中島歩)が離反して窮地に陥る。信長は木下藤吉郎(池松壮亮)に殿軍しんがりを命じて撤退。藤吉郎は命からがら窮地を脱した(金ケ崎の退き口)。

元亀元年6月21日(1570年4月に改元)、信長は浅井長政の居城・近江小谷おだに城を攻めるために出陣。まず、森可成(水橋研二)、不破光治(河内大和)ら8000の兵が雲雀ひばり山に上って町を焼き払った。一方、信長の本陣は、小谷城の南方おおよそ2キロメートルに位置する虎御前山とらごぜんやま(滋賀県長浜市中野)に布陣し、柴田勝家(山口馬木也)、佐久間信盛(菅原大吉)、木下藤吉郎、丹羽長秀(池田鉄洋)および近江衆に命じて所々を放火させた。

しかし、小谷城が容易に落ちそうもないと見ると、信長は翌6月22日にいったん退却した。殿軍には佐々成政(白洲迅)ら3名が命じられた。6月24日、信長は竜が鼻(滋賀県長浜市東上坂)に首尾よく移動した。ここで、徳川家康(松下洸平)が率いる援軍が到着する。信長は、竜が鼻の南に位置する浅井の支城・横山城(滋賀県米原市山室)の四方を囲ませた。