ドラマでも浅井と朝倉はセット
大河ドラマ「豊臣兄弟!」(NHK)で、浅井長政(中島歩)は織田信長(小栗旬)と同盟を結んだが、父・浅井久政(榎木孝明)は朝倉家との古くからの関係を重んじ、長政は嫡男・万福丸を朝倉家の人質に出さざるをえなくなった。そして、朝倉家からは朝倉義景(鶴見辰吾)の従兄弟・朝倉景鏡(池内万作)がしばしば浅井家を訪れ、朝倉家になびくように働きかけていた。
元亀元(1570)年4月、信長は朝倉家を討つため、越前に進軍。朝倉の支城を陥落させ、わずか2日で敦賀郡を制したが、長政が離反。信長は浅井軍に近江路を塞がれたり、背後から追撃されることを恐れ、殿軍に木下秀吉(のち羽柴、豊臣)を置き(一説に池田勝正、明智光秀も同行)、急ぎ撤退した。有名な「金ケ崎の退き口」である。
本当に同盟を結んでいたのか
さて、ここで問題である。浅井・朝倉家は本当に同盟を結んでいたのだろうか。「豊臣兄弟!」でもそう描かれたように、これまで浅井家は長政の祖父・亮政以来、朝倉家との旧縁を重視したとの説が支配的であったが、実際にはそのような関係にない。永禄3(1560)年、浅井長政(当時は賢政)が家督を継いだ年に、浅井・朝倉家の関係がそれほど親密ではなかったとの証言があるのだ。
永禄3年、南近江の六角義治(義弼)とその家臣たちが、父・六角義賢(号・承禎)に叱責されている。六角家は越前の朝倉家と仲が悪いが、関係修復のため、朝倉家から婚姻を結ばないか(義景の娘を六角義治に嫁がせる)と打診されていた。義賢は縁組みに奔走していたが、子の義治が斎藤道三の孫娘との縁談を父に相談もせずに勧めてしまう。
六角家は美濃の土岐家と代々仲が良く、義賢の母は土岐家の出身だ。こともあろうに、その土岐家を追放した道三の孫娘と婚姻を結ぼうとするとは何ごとか。しかも、「斎藤氏は(朝倉氏にとって)古敵であるのだから、六角氏と斎藤氏の縁談が決まったことをきっと無念に思っているに違いない。」朝倉氏との「今回の縁談がうまくいかなければ、どう考えても遺恨を持つに相違ない。そうなれば今後必ず朝倉氏は浅井氏と関係を深めると考えるが、その時(義治を支える宿老の)お前たちはどうするのか」(『六角定頼』。引用に際し、文章の順番を一部変えている)。


