「豊臣兄弟!」(NHK)では秀吉が城持ちとなり、家臣が増えて会社のようになっていく。系図研究者の菊地浩之さんは「秀吉の事務方というと、石田三成など“五奉行”のイメージが強いが、その前任者である一世代上の“六人衆”たちも優秀だった」という――。
石田三成像(子孫の杉山丕氏所蔵)、18~19世紀頃
石田三成像(子孫の杉山丕氏所蔵)、18~19世紀頃(写真=PD-Japan/Wikimedia Commons

豊臣家臣団の「六人衆」とは?

大河ドラマ「豊臣兄弟!」(NHK)に豊臣秀吉(池松壮亮)にとって“生え抜き”の家臣となる若き石田三成(松本怜生)が登場した。

三成(1560~1600年)は豊臣政権の実務を担当していた「五奉行」の一人として有名である。

「五奉行」のメンバー

・前田玄以 (1539~1602) 美濃出身
・浅野長政 (1547~1611) 尾張出身 五奉行筆頭、秀吉の義兄弟
・増田長盛 (1545~1615) 尾張出身(近江出身説あり)
石田三成 (1560~1600) 近江出身
・長束正家 (? ~1600) 尾張出身(近江出身説あり)

この「五奉行」はある日突然、秀吉から職制を定められたわけではなく、豊臣家の家政を担当する「六人衆」のメンバーが世代交代し、再編されてメンバーが固定化していったものらしい。「六人衆」とは以下の6人を指す。

「六人衆」のメンバー

・寺沢広政 (1525~1596) 尾張出身
・蒔田広光 (1533~1595) 尾張出身
・小出秀政 (1540~1604) 尾張出身 秀吉の義叔父
石川光重 (? ~1596) 美濃出身 石川光政の弟
・伊藤秀盛 (生没年不詳) 美濃出身?
一牛斎能得いちぎゅうさいのうとく(生没年不詳) 出身地不明

「石川光政・光重」兄弟の存在感

「六人衆の起源は、山崎の戦の戦後処理で在京していた石川光政・伊藤秀盛の二人組が天正十一年十二月の光政の死でいったん消滅したのをきっかけに、姫路留守居衆の一牛斎・寺沢・蒔田・小出が加わって、伊藤・石川光重(光政の弟)の六人で集まったことが始まりである」(寺沢光世「秀吉の側近六人衆と石川光重」『日本歴史』。以下、寺沢論文と称す。カッコ内は引用者註)。

そして、この「六人衆」に「後に一牛斎・蒔田に代わって民部卿法印(前田)玄以・増田右衛門尉長盛が加わり、秀吉の晩年に石田(三成)・浅野(長政)・長束(正家)・増田・玄以の五奉行が成立する基となった」(寺沢論文)。

秀頼が生まれると、小出秀政と片桐且元が秀頼付きの家臣とされ、秀吉が死去すると、片桐と石川光吉・一宗兄弟(光重の子)、石田正澄(三成の兄)が奏者番(俗に「秀頼四人衆」)に選ばれ、豊臣家の家政を任された。