平安時代
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一条天皇が彰子に接するようになった政治的理由定子のように一条天皇には愛されなかったが…父・道長亡き後に宮廷のトップに立った彰子の波乱の人生|2024/08/18 19:00
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「人間は平等ではない」が当たり前の時代だっただから清少納言は「貧乏はイヤ」と蔑んだ…出世競争で死人を出した平安時代ならではの"美意識"|2024/07/28 10:00
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決して藤原道長の「不義の子」だったからではないNHK大河ドラマを信じてはいけない…紫式部の娘・賢子が異例の大出世を遂げた本当の理由|2024/07/21 18:00
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皇后・定子の父、道隆との決定的な違い藤原道長の栄華の裏には「謎の失火・病死」があった…「係長」だった平凡な男が最高権力者になれた理由|2024/07/14 09:00
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后妃に「未知の世界」を伝授する役割があったなぜ『源氏物語』は男女の色恋沙汰ばかりなのか…平安時代の宮廷が紫式部たち"女房"を重用したワケ|2024/06/30 18:00
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義母・彰子は敦康親王の皇位継承に前向きだった天皇になれる血筋だったのに、20歳で夭逝…「藤原道長の壁」を超えられなかった「定子の息子」の悲劇|2024/06/23 18:00
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有無を言わさず妹の着物を剝いで…道長の嫌な性格がよくわかる…東宮の「添い寝」に選ばれた妹の不倫疑惑を確かめるためにとったまさかの行動|2024/06/23 17:00
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独裁政権を敷いた兄・道隆を超えるえげつなさ皇后・定子の家庭を壊すためならなんでもやる…権力の亡者になった藤原道長がとった前代未聞の奇策|2024/06/02 17:00
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だからこそ30年以上にわたる長期政権を築けたなぜ藤原道長は関白にならず、「内覧」にとどまったのか…最大のライバル・伊周との決定的な違い|2024/05/12 07:00
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「逆玉婚」で平安京の頂点に上り詰めた道長の本性父・兼家でも紫式部でも天皇でもない…"婚活"で大出世した藤原道長が唯一逆らえなかった人物の名前|2024/03/24 11:00
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藤原道長は正妻2人に妾が8人いた艶福家道長は正妻の妊娠中にもうひとりの妻と結婚した…女性の意志は無視、男にとって好都合な「通い婚」システム|2024/03/24 06:00
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室町時代の史料には「紫式部=道長の愛人」とあるが…紫式部と藤原道長は本当に恋人関係だったのか…「平安最大のミステリー」に作家が出した結論|2024/03/03 13:00
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2人の「結婚観の違い」を和歌から読み解く「子持ちの中年」との結婚を清少納言に嘲笑された…紫式部の「20歳差の年の差婚」が3年で終わった理由|2024/02/24 12:00
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宮中では「モデルは誰?」と大炎上した「源氏物語」の作者は男好きなんでしょうね…藤原道長から皮肉られた紫式部がピシャっと返した一言|2024/02/22 07:00
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厳しい法律だったら、貴族も源氏物語もなかった不倫は「懲役2年半」の実刑になるが…それでも平安貴族が「禁じられた恋」に熱中した背景事情|2024/02/20 08:00
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紫式部、清少納言も所属した「文化人サロン」何としても「一条天皇の正妻」の座を勝ち取りたい…「光る君へ」で描かれる、平安貴族のドロドロの権力争い|2024/02/18 17:00
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ひとつは盃(さかづき)のシャレ「この世は私のものだ」という歌ではなかった…藤原道長が「我が世の望月」という言葉に込めた2つの意味|2024/02/18 15:00