藤原道長とはどんな人物だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「権力闘争を続けた結果、皇族を自身の親族で固め、貴族としては従一位という頂点に上り詰めた。しかし、彼の立場はあくまでも臣下にすぎず、そのことも出家につながった」という――。
「うつけ」と呼ばれた彰子が国母になるまで
藤原道長(柄本佑)の長女、彰子(見上愛)。一条天皇(塩野瑛久)のもとに入内し、中宮となったころは、数え12歳にすぎなかったこともあるが、引っ込み思案で、その後もしばらくは「うつけ」という評判さえ立っていた。
そのころの様子にくらべると、NHK大河ドラマ「光る君へ」の第44回「望月の夜」(11月17日放送)で描かれた彰子の貫禄には、隔世の感がある。
目がよく見えず、耳もよく聞こえず、譲位を迫られている三条天皇(木村達成)は、抵抗する最後の手段として、自分の娘の媞子内親王を、道長の嫡男の頼通(渡邊圭祐)に降嫁させると言い出した。だが、道長が打診しても頼通は受け入れない。
そこで、道長は皇太后の彰子に意見を聞きにいった。だが、彰子は「帝も、父上も、おなごを道具のように遣ったり取ったりされるが、おなごの心をお考えになったことはあるのか」「妍子とて父上の犠牲となって、いまは酒に溺れる日々である」と道長を諭し、そのうえで「この婚儀はだれも幸せにせぬと、胸を張って断るがよい」と言い放ったのである。
天皇に臆せず譲位を迫る道長にさえ有無を言わせない貫禄が、彰子には感じられる。実際、長和5年(1016)正月、三条天皇がいよいよ譲位し、彰子の一人目の息子、つまり道長の外孫である敦成親王(濱田碧生)が即位することになると(後一条天皇)、彰子は名実ともに高みにのぼった。