母后が高御座に登った意味

後一条天皇の即位式を描いた場面で彰子は、この儀式でもっとも大事な装置である高御座たかみくらに、天皇とともに着座していた。これは史実であり、母后が高御座に登った史上初の例だとされている。彰子はこうして国母になったが、高御座に登ったということからも、これまでの国母にない特別な高みに到達したといえる。

高御座(上)と御帳台(下)
高御座(写真=首相官邸ホームページ/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons

「光る君へ」第44回では、それから2年半以上のち、道長が倫子に産ませた三女の威子(佐月絵美)が後一条天皇のもとに入内して中宮になったときの様子まで描かれた。

寛仁2年(1018)10月16日、威子の立后の儀が行われ、これで道長の3人の娘が、3つの后の座を独占することになった。その晩、道長の私邸である土御門殿で行われた宴で、かの有名な「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたる事も 無しと思へば」の歌が詠まれたのだが、「光る君へ」では、妍子も威子も表情が浮かない。道長があいさつをしても厳しい表情を崩さない。