なぜ藤原道長は32年にわたる長期政権を築くことができたのか。歴史評論家の香原斗志さんは「兄・道隆の遺児であり、最大のライバルとなった伊周が自滅したことが大きい。その後、地道な積み重ねによって政権を固めていった」という――。
今度こそ自分が関白になると思っていた伊周
当面は続くと思われた関白、藤原道隆(井浦新)の権勢だったが、病のために道隆は、長徳元年(995)4月10日に死去してしまう。その模様が描かれたのはNHK大河ドラマ「光る君へ」の第17回「うつろい」(4月28日放送)だった。
自分が死ぬ前に関白職を長男の伊周(三浦翔平)に譲っておきたい、というのが道隆の強い願いだったが、妹で一条天皇(塩野瑛久)の母である女院、詮子(吉田羊)の意向で退けられている。第18回「岐路」(5月5日放送)で、道隆の弟の道兼(玉置玲央)を関白にする詔が下された。
その道兼も5月2日、就任御礼を言上する場で倒れ、8日には帰らぬ人になった。疫病の疱瘡(天然痘)は、公卿のあいだにも蔓延していたのである。
この時点で、道隆と道兼の弟である道長(柄本佑)は権大納言だったのに対し、道隆の長男で道長より8歳年下の伊周は、すでに内大臣だった。だから、伊周は今度こそ自分が関白になると思っていたようだ。
ところが、詮子の必死の説得を受けた一条天皇は5月11日、道長を内覧(天皇に奏上する文書を事前に見る役割で、職務は関白に近い)にする宣旨を下した。