996年、紫式部は父・藤原為時の赴任に同行して越前へ向かった。歴史評論家の香原斗志さんは「1年ほど、彼女は越前で暮らし続けるが、越前の風物を詠んだ歌や国内を移動した記録は残っていない。父の世話をしながらも、都を懐かしがってばかりいた」という――。
石山寺で源氏物語を書く紫式部
石山寺で源氏物語を書く紫式部(画像=八島岳亭/https://asia.si.edu/object/F1901.166//CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

紫式部の父・為時が「越前」の長官に大抜擢された理由

まひろ(吉高由里子、紫式部のこと)の父、藤原為時(岸谷五朗)が10年ぶりに官を得て、越前守(現在の福井県東部にあたる越前国の長官)として赴任することになった。NHK大河ドラマ「光る君へ」の第20回「望みの先に」(5月19日放送)。

第19回「放たれた矢」(5月12日放送)では、為時は淡路守に任命されていた。ただ、当時、68ほどあった国は、国力によって「大国」「上国」「中国」「下国」の4つに分けられていて、淡路国(兵庫県淡路島、沼島)は「下国」だった。ところが、第20回で赴任先が一転、「上国」の越前国(福井県北東部)に変更になったのである。

実際、史料によっても、長徳2年(996)正月25日の除目(大臣以外の官職を任命する朝廷の儀式)では、越前守に源国盛(ドラマでは森田甘路)が任命されながら、その3日後には、為時に変更になっている。

前年9月、若狭(福井県南西部)に宋国人70余人が上陸し、越前に移送されていた。越前守は、交易を求める宋の人たちと折衝する必要があったので、急遽、漢詩文に堪能な為時が抜擢されたと考えられている。