藤原道長はどんな人物だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「権力を維持するためなら、なりふり構わず行動した。それは自分の娘を一条天皇に入内させた方法を見るとよくわかる」という――。
紫式部日記絵巻(部分)
紫式部日記絵巻(部分)(画像=藤田美術館蔵/『日本国宝展』読売新聞社/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

政敵・伊周と隆家が消えた後の道長の変貌

藤原道長(柄本佑)の最大のライバル、中関白家(道長の長兄、道隆を祖とする家系)の伊周(三浦翔平)と隆家(竜星涼)の兄弟は、長徳2年(996)正月、花山法皇(本郷奏多)を矢で射かけたのを機に、自滅した。NHK大河ドラマ「光る君へ」の第20回「望みの先に」(5月19日放送)、および第21回「旅立ち」(26日放送)で、その顛末が描かれた。

兄弟は、一条天皇(塩野瑛久)の母、東三条院詮子(吉田羊)と道長を呪詛した疑いまでかけられる。その結果、一条天皇は同年4月、内大臣だった伊周は太宰権帥、中納言だった隆家は出雲権守に降格し、配流すると決めた。

しかし、道長は兄弟が自分たちを呪詛したなど信じられない。自分の甥であり、子供のころ屋敷の庭でよく遊んでやった彼らが、そんな真似をするなど考えられない。ここまでの道長は、ドラマではこうして「いい人」として描かれてきた。しかし、第20回には、道長の転機と思われる場面があった。

道長は伊周と隆家について、陰陽師の安倍晴明(ユースケ・サンタマリア)に相談した。すると「そんなことは、どうでもよい」という返答だった。今後はだれも道長に敵わなくなり、そのほうが「大事」だというのである。