一条天皇はどんな人物だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「14歳のときに藤原道隆の娘・定子と結婚した。当時では異例の仲睦まじい夫婦で、定子が出家した後も周囲の反対を無視して寵愛を続けた」という――。
一条天皇像
一条天皇像〈真正極楽寺蔵〉(画像=『別冊太陽 天皇一二四代』平凡社/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

定子のことしか頭にない一条天皇

どうやら一条天皇(塩野瑛久)は、出家して離れ離れになってしまっている中宮定子(高畑充希)のことしか頭にないらしい。

NHK大河ドラマ「光る君へ」の第24回「忘れえぬ人」(6月16日放送)では、出家したままの定子が第一子の脩子を出産したのちの、一条天皇の姿が描かれた。病気で臥せる母の東三条院詮子(吉田羊)を見舞った際に一条は、「中宮を内裏に呼び戻します。娘の顔を見ず、中宮にも会わずに、このまま生き続けることはできません」と宣言したのである。

同席する道長(柄本佑)は難色を示すが、「内裏に波風など立ってもかまわぬ」「これは私の最初で最後のわがままである」と強く主張。詮子も「道長、お上の願い、叶えてやって」というにいたった。

とはいえ、さすがに定子を内裏に戻せば、宮中の反発を抑えられないことを懸念した道長は、天皇の秘書官長にあたる蔵人頭の藤原行成(渡辺大知)の意見を聞き、内裏の東北にある中宮職のための役所、しき御曹司みぞうしに定子を移す、という妥協策をとることにする。

しかし、内裏からは近いので、天皇は日夜、定子のもとに通いはじめ、日記『小右記』の筆者である藤原実資(秋山竜次)をはじめとする公卿たちから女房まで、宮中の反発は激しかった、という様子が描かれた。