道長にとって大きな悩みの種

むろん、そういう一条天皇は、近い将来、長女の彰子を入内させたいとねらっていた道長にとっても、大きな悩みの種だった。実際、道長が手を打つ前に、一条が定子に皇子を産ませることになれば、皇子の外戚になる伊周や隆家ら中関白家が復活して、道長の権力基盤を揺るがすことにもなりかねない。

一条が常識外の愛情を定子に注いでいるからこそ、道長はまだ幼い彰子の入内を急ぐことになったのである。もっとも、彰子は入内した長保元年(999)には、まだ数え12歳にすぎず、すぐに懐妊する可能性はないといってよかった。

倉本一宏氏はこう書いている。「平安中期の醍醐から後朱雀までの十人の天皇のキサキのうち、初産年齢がわかる十四名について調べると、彼女たちの入内年齢は、平均して十六・四歳、最低では十二歳(彰子)という若さであるのに、初めて皇子女を出産した時の年齢は、平均すると二十一・四歳であり、最低でも十九歳に達しないと出産し得ていない」(『増補版 藤原道長の権力と欲望』文春新書)。

それでも、あえて「子供」の彰子を入内させたのは、定子にしか目を向けない一条天皇にくさびを打ち込み、プレッシャーをかけるためだった。そして、道長は前代未聞の「一帝二后」を推し進めて、彰子を定子とならぶ一条天皇の后にする。だが、それでも定子が没するまで一条天皇の心は動かなかったのである。

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