藤原道長はどんな人物だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「史料を見る限り、道長は困難な状況を迎えるたびに体調を崩していた。ほかの貴族と比較して病弱だったといえる」という――。
柄本佑氏
写真=共同通信社
柄本佑氏(=2018年11月08日)

史料に残っている藤原道長の「病弱」

いまのところ、NHK大河ドラマ「光る君へ」で描かれている藤原道長(柄本佑)は、いたって健康である。

しばらく前だが、第16回「華の影」(4月21日放送)で、長兄である関白の道隆(井浦新)が、疫病が蔓延しているのになんら対策を講じなかったとき、道長が福祉施設の悲田院にみずから赴くシーンがあった。このとき、道長は次兄の道兼(玉置玲央)に、自分は病気になったりしないという旨を断言していた。

その後、兄たちが急死して権力が転がり込んでくる過程でも、名実ともに権力を掌握してからも、いまのところ道長は、健康そうに描かれている。第23回「雪の舞うころ」(6月9日放送)でも、第24回「忘れえぬ人」(6月16日放送)でも、取り立てて健康不安を抱えているようには見えなかった。

しかし、道長はのちの記録から察するにも、かなり病弱だった。道長の健康に関する記録がはじめて現れるのは、永祚元年(989)7月22日のこと。まだ権中納言にすぎなかった24歳の道長は、「光る君へ」で秋山竜次が演じている藤原実資の日記『小右記』によれば、朝廷の業務を担当するはずが、病気を理由に早退したという。

もっとも、それ以後は何年も、病気で臥せたという記録はないのだが、あるときを境に、頻繁に病気で倒れるようになる。