大河ドラマ『光る君へ』(NHK)で脚光を浴びた一条天皇の皇后・藤原定子。平安時代の研究者である服藤早苗さんは「定子は若き天皇に深く愛されるが、父や兄という後見人を失った。兄の政敵であった藤原道長が娘の彰子を入内させたときに、ようやく皇子を産むが、最期は出産で力尽きたように亡くなってしまった」という――。
作者不明『枕草子絵巻』に描かれた一条天皇と定子
作者不明『枕草子絵巻』に描かれた一条天皇と定子[画像=大和絵同好会(レプリカ刊行、1921年)/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

定子の兄・伊周は出世レースから勝手に脱落していった

一条天皇の妃であった藤原定子と藤原彰子。定子は関白・道隆の長女で、彰子は道隆の弟・道長の第一子。従兄妹同士でもあるふたりですが、それぞれ入内した後は顔を合わせることはなかったでしょう。しかし、「事実は小説より奇なり」と言いますが、まさにこのふたりの妃の運命は、絵巻の物語のようにドラマティックに交錯しました。

大河ドラマ『光る君へ』(NHK)で描かれたように、道隆亡き後、内大臣であった定子の兄・伊周これちかと弟の隆家たかいえが「長徳の変」で花山上皇の袖を射ぬき、また、国母である詮子を呪詛したことなどで流罪となります。その騒動の途中で、定子は兄弟を救うためか自身で髪の毛を少し切り、一条天皇の寛大な措置を求めたわけですが、それはかないませんでした。