一条天皇の子、敦康親王とはどんな人物だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「伊周、道長と藤原氏の政争に振り回され続け、中宮定子が産んだ第一皇子でありながら、東宮になれず短い生涯を終えた」という――。
柄本佑さん
写真提供=共同通信社
柄本佑さん

定子の子ではなく、自らの孫を東宮にと言った道長

藤原道長(柄本佑)は長男の頼通(渡邊圭祐)を呼びつけ、「これより、俺とおまえがなさねばならぬことはなんだ?」と問いかけた。道長の回答はこうだった。「われらがなすことは、敦成様を次の東宮に成し奉ること。そして、一刻も早くご即位いただくことだ」。NHK大河ドラマ「光る君へ」の第38回「まぶしき闇」(10月6日放送)の一場面である。

道長はこう続けた。「本来、お支えする者がしっかりしておれば、帝はどのような方でも構わぬ。されど、帝のお心をいたずらに揺さぶるような輩が出てくると、朝廷は混乱を来たす。いかなるときも、我々を信頼してくださる帝であってほしい。それは敦成様だ」。

最後に道長は、「家の繁栄のため、ではないぞ。なすべきは、揺るぎなき力をもって民のために良き政を行うことだ。お前もこれからは、そのことを胸に刻んで動け」と、頼通にきっぱりと伝えた。

第37回「波紋」でも、道長はまひろ(吉高由里子、紫式部のこと)に、敦成親王が次の東宮だとうっかり本音を伝えてしまっていた。まだ一条天皇(塩野瑛久)も中宮彰子(見上愛)も、次の東宮は第一皇子である敦康親王(渡邉櫂)だと信じて疑わないなか、道長のねらいは、頼通への指示で視聴者にはっきり伝わった。

そうとなると、育ての親である彰子と戯れる敦康が、不憫に見えてきた視聴者も多いのではないだろうか。