枕草子の作者、清少納言はどんな人物だったのか。埼玉大学名誉教授の山口仲美さんは「自然風景を描写する能力が突出していた。ライバルである紫式部も思わず清少納言の文章をマネするほどだった」という――。(第2回)
※本稿は、山口仲美『千年たっても変わらない人間の本質 日本古典に学ぶ知恵と勇気』(幻冬舎新書)の一部を再編集したものです。
あまりに斬新だった清少納言の視点
清少納言の風景を切り取る視点が実に斬新であることを説明しましょう。
たとえば、私たちが「春で最も感動的な風景を一つあげてください」と人に言われたとします。あなたは、どんな風景をあげますか?
多くの人は「桜の咲き乱れた風景」と答えるでしょう。私もむろん、その風景を例示しそうです。絢爛豪華に咲き乱れる桜の美しさは、何といっても感動的ですからね。
でも、清少納言は、春で最も感動的なのは「あけぼの(=夜明けの頃)」と言います。時間の観点から切り取った風景を提示する。思わず「えっ」と意表を突かれます。
山ぎわがだんだん白んでいって、やがて空がほんのり明るくなって、紫がかった雲が細くたなびいている。最高よね、なんて言う。風景といっても、刻々と変わりゆく自然美をあげるのです。だから、ものすごく新鮮。
続いて、夏で一番感動的な風景は「夜」、秋は「夕暮」、冬は「つとめて(=早朝)」。すべて、時間の観点から切り取られた風景です。そして、刻々と移り行く自然美を的確に鮮明に描写している。実に巧みです。
誰が、時間の観点から風景をとらえようと思うでしょうか? 清少納言に一本取られた感じがします。刻々とうつりゆく風景の美しさは、絵画でも決してとらえることができない。絵画は、ある一瞬の静止画だからです。
『枕草子』は、絵画でもとらえられない風景を文字で写し取っているのです。