いい意味での自己主張は、大切
清少納言が、随筆という新ジャンルを生み出せたのは、考えてみると、彼女が自分の個性を大切にしたからです。
周りの人々に合わせてものを見たり、周りの人の意見に従っていたりしたら、新ジャンルは生み出せなかった。周りの人の目を気にすると、新しい題材に着目したり、他の人とは全く違う視点から物をとらえることが制限されてしまうからです。
「私は、これがいいの!」という自己主張をしたからこそ可能になった道です。何か新しい道を切り開こうと思ったら、いい意味での自己主張が必要なことを、『枕草子』は私たちに教えてくれています。
自己主張と言えば、清少納言は、既に散文を書くという時点から、自己主張をしているのです。
彼女の父は、歌人の清原元輔。『後撰和歌集』の撰者の一人で、有名な歌人。さらに彼女の曽祖父は、清原深養父。これまた歌人として名を馳せた人。『古今和歌集』をはじめとする勅撰集に多くの歌を残しています。
そんなわけで、清少納言は、歌人として活躍することを期待された環境に生まれ育ってしまった。それが、彼女には相当のプレッシャーでなかなか歌が詠めない。『枕草子』には、ホトトギスの声を聞いて歌を詠むはずで出かけたのですが、結局一首も詠めずに帰ってきて、お仕えしている中宮定子に笑われたというエピソードが出てきます。
のちには、彼女は、定子との間で、歌を詠まないでいいという約束さえ取り付けています。ここが、彼女のいい意味での自己主張です。和歌を詠むことが自分に向いていないことを自覚し、それを周囲に認めさせているのです。
そして、自分に合った散文の世界に身を投じていく。歌詠みの家に生まれ育っても、それを継がないという自己主張をしたのです。この生き方は、現代人に大いに参考になります。
代々医者の家であっても、医者に向いていなければ、やめて、他の自分に向いていることをやったほうがいい。いい意味での自己主張は大切よ!
清少納言は、涼しい顔でそう言っている気がします。