皇后定子の兄で、藤原道長の甥である藤原伊周とはどんな人物だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「わずか21歳で内大臣に抜擢されたが、問題行動を繰り返し自滅した。一方で、弟の隆家は国家に貢献したことから、長きにわたり皇室・摂家にその血を残した」という――。
21歳で大出世した藤原伊周が落ちぶれたワケ
藤原道長(柄本佑)の長兄で、関白だった道隆(井浦新)を祖とする家系を中関白家と呼ぶ。NHK大河ドラマ「光る君へ」の登場人物でいえば、道隆の長女で一条天皇の皇后だった定子(高畑充希)、道隆の長男で定子の兄の伊周(三浦翔平)、次男で定子の弟の隆家(竜星涼)が、中関白家の面々である。
さて、伊周は第29回「母として」(7月27日放送)で、自分が失脚し、定子が命を落としたのは道長のせいだと決めつけ、夜な夜な道長を呪詛しはじめた。第30回「つながる言の葉」(8月4日放送)でも、一心不乱に呪詛する姿が映し出された。
三浦翔平はNHKの情報誌『ステラ』で、「しっかりの者の定子がいなくなって、伊周は完全に闇に落ちたのだと思います」と語っている。
伊周は道隆全盛のとき、弱冠21歳にして内大臣に抜擢された。叔父で8歳年上の道長が2段階下の権大納言のときだった。父の道隆は自身が飲水病(現代の糖尿病)を患っていたこともあり、自分が元気なうちに嫡男をできるかぎり出世させたいと考えたのだろう。しかし、それが裏目に出た。
山本淳子氏はこう書く。「伊周は『待ち』に入ればよかったのだ。祖父兼家がそうしたように。しかし彼は、祖父と違ってこれまでが恵まれすぎていた。試練を知らず、ほしいものは性急に手に入れたがった。高階一族(註・母親の出身一族)からおだてられすぎたのもよくなかった」(『源氏物語の時代』朝日選書)