ワインとの出会い、祖母との別れ
2011年11月、自ら企画したツアーの添乗でフランスのブルゴーニュを訪れ、そこで味わったワインに言葉を失う。
「こんなに美味しいワインが世の中にあるんだ……!」
一夜にしてワインに心酔し、あたたまった心で11日間の旅程を終えて成田空港に降り立つと、今度は心が凍りつくような知らせが届いた。
ツアーの添乗中に祖母が亡くなったのだ。空港から実家に直行したものの、既に葬儀は終わっていた。思えば、連日の激務で友人や家族と過ごす時間は極端に減っていた。
天国にいるおばあちゃんの「自慢の孫」であり続けるために生き方を見直し、転職を考えてワインスクールに通い始める。
「消費的な旅行商品を売ることにもう疲れ切っちゃったんですよね。身を粉にして働いて、大切な家族との時間を過ごせない。そんなツーリズムは嫌だと思ったんです」
2013年11月、27歳でワイン業界に転職。プライベートでは半年前に結婚し、その先には明るい未来が約束されているはずだった――。
「もう君に任せられる仕事はないよ」
転職から間もない、2013年のボージョレ・ヌーボー解禁直前のこと。思いがけず妊娠がわかり、田澤さんは混乱していた。ワインを扱う営業職で、アルコールを飲めなくなることは致命的。くしくもボージョレ・ヌーボーの解禁を皮切りに、クリスマス商戦や年末年始のイベントが控えている。
年明けから夫の海外赴任が決まっていて、子どもはまだ先でいいと夫婦で話し合ったばかり。どうしていいかわからないままつわりがひどくなり、通勤の満員電車でだけひっそりと妊娠マークをつける。
数日後、上司に会議室に呼ばれた。
「もう君に任せられる仕事はないよ」
その瞬間、不本意な形で妊娠が会社に伝わったことを悟った。
失意のうちに翌朝出社すると、言い渡されたのはグラス拭きと雑誌のスクラップ。前日までそれなりに評価されていた営業の仕事には声もかけられない。田澤さんは延々と電話番をしながら時間が過ぎるのを待った。
このまま失職してしまうのか――。
積み上げてきたものを失うと思うととてつもなく怖かったが、どうすることもできない無力感が襲う。否応なく変化していく体と追いつかない頭で出社を続けたが、今度は嫌がらせが始まった。
社内には、子どもが欲しくてもキャリアアップのために我慢している女性社員がたくさんいた。田澤さんが電話に出るとわざと電話を切られたり、目の前で扉を「バタン!」と強く閉められたり。「(転職エージェントに)いくら払ったと思ってんの?」とあからさまに言ってくる人もいた。
会社からは、夫の稼ぎがあることを理由に退職をほのめかされるが、期待に応えられなかったことに対する負い目と申し訳なさがあり、ことを大きくしたくなかった。