ヨーロッパに憧れた少女時代
1986年、田澤さんは長野県小諸市の山間地域で生まれた。両親はともに教員で、勉強を頑張るのは当たり前。100点をとっても地元の進学校に合格しても「褒められた記憶はない」という。多忙な両親にかわって面倒をみてくれた祖母の存在が心の拠り所だった。
祖母は愛国心と郷土愛が深い人だったが、田澤さんを中学校で待ち受けていたのは「自然に湧き上がる愛国心さえも奪い取られてしまうような教育」。軍国主義につながるという理由で、「君が代」のページに上から別紙を貼るよう指示されたという。
「日本が大好きだった祖母のことを軽蔑するようになってしまい、気づいたら自分の国や地域の文化に全く誇りを持てなくなってしまったんです」
高校1年生の春休みに初めての海外旅行で南イタリアを訪れると、反比例するように異文化への憧れが膨らんだ。その後鑑賞した映画『アメリ』の世界観にノックアウトされ、フランス語の勉強を志す。
順調に将来を見据えるように見えた一方で、この頃から誰かに承認されたいという気持ちをある行為で埋めるようになっていく。
100点でなければ許せなかった
高校2年生の時、父親から「足が太い」と言われたことに傷つき、ダイエットを始めた。食事を減らすとみるみる痩せたが、本能は食べ物を欲した。
「痩せたいけど食べたい」という矛盾した思いから、やがて「食べ吐き」を繰り返すようになる。体重は1年で17キロ落ち、生理も止まった。16歳の少女は、厳しい両親のもと、「どうすれば褒められるか」を常に模索していた。頑張れば確実に成果が出るダイエットは、周囲から認めてもらうわかりやすい方法に思えたのだ。
次第に体重のみならず、あらゆる点で100点でなければ許せなくなり、1点でも欠けると0点と同じと感じるように。自分にも他人にも厳しくなったという。
進学で上京してからも食べ吐きは続いたが、あるとき7つ上の姉からかけられた言葉で我に返る。
「食べたものが自分をつくっているんだよ。栄養のないものばかり食べてたら、心も頭もスカスカになるよ」
一度は日本への誇りを巡って批判したものの、いつも自分を認めてくれる祖母の言葉も田澤さんを支えた。
「よく頑張っているね」
「自慢の孫だよ」