東京都港区三田、JR田町駅からほど近いオフィス街に異形の建物がたっている。名前は蟻鱒鳶(アリマストンビ)ル。建築家の岡啓輔さん(59)が約20年かけ独力で建てた鉄筋コンクリートビルだ。なぜ自力での建設にこだわったのか。ライターの山川徹さんが聞いた――。(1回目/全3回)
「蟻鱒鳶ル」(港区・三田)
撮影=プレジデントオンライン編集部撮影
「蟻鱒鳶ル」(港区・三田)

自力で都心にビルを建てようと思ったきっかけ

――岡さんが施主、設計者、施工者として建設する地上4階、地下1階の「蟻鱒鳶ル」は、着工から19年が経つそうですね。

着工は、2005年の11月26日です。地下と1階は店舗として貸し出し、2階以上は夫婦の住居にする予定で建築を始めました。

計画当初、妻には完成まで3年と伝えていました。もし3年を越えたら、暮らしているマンションの家賃をすべてぼくが支払うと約束していたんです。

工期が延びれば延びるほど経費がかさみ、月々の家賃もキツくなる。だから「がんばるぞ」と毎日現場に出ていたのですが、3年が4年になり、5年になり……。建設途中で蟻鱒鳶ルを含む一帯が再開発区域になったこともあり、19年経ってようやく目途が立ちました。

――「蟻鱒鳶ル」建築のきっかけを教えてください。

変なことを意図してしようとしたわけでも、目立とうとしたわけでもないんです。建築しようと思った理由は、100個も200個もあります。

自分への自信のなさを克服したかったこと、製図板にキレイに描いた図面がそのまま立ち現れるような建築に対する学生時代の違和感、職人たちが置かれた惨めな状況に対する問題意識などなど……。

自分は結局ニセモノなのではないか

――自分への自信とはどういうことでしょうか。

ぼくは地元福岡県の高専を出て、住宅メーカーで設計士として働いたあと、建築現場のさまざまな仕事をやってきました。土工、鳶、鉄筋屋に、型枠大工、住宅大工……。その間に自転車で旅をしながら日本中の建築を見て回り、勉強して一級建築士の資格も取得しました。

若い頃のぼくは、自信の塊が突っ走っているようなタイプでした。考えたこと、思いついたことを一つひとつ着実に実行し、実現していく。それなりに優秀だと自覚していました。友人に「岡の近くにいると『着々着々』という音が聞こえる気がする」と言われたほどです。

そんなぼくが、30歳になった頃に、生まれて初めて自信をなくしたんです。

最大の挫折が、国内外で活躍する同世代の建築家たちと会ったこと。ぼくが憧れる世界的な建築家の右腕として働いている人もいました。

ぼくは東大や早稲田を出た彼らに対し、「みんなクールで頭がよくて、要領がいいんだろう」と勝手な先入観を抱いていました。けれど、実際はまったく違いました。どの人に会っても空回りするほどの情熱を持って、自分の思いをバカみたいに一生懸命に話す。

ぼくも、職人として技術を磨いたり、自転車で旅して建築を独学で勉強したりして、情熱的に建築と向き合ってきたつもりだったんです。でも、彼らを前にして感じました。熱量が違う。自分が青春時代にやってきたことは情熱ごっこだったのではないか、と。

本物というのは彼らのことで、自分は結局ニセモノに過ぎないのではないか。そう思えて、むなしくなりました。

さまざまな表情を持つ蟻鱒鳶ル。こちらの外壁は樹木を思わせるつくりになっている。
画像提供=蟻鱒鳶ル保存会
さまざまな表情を持つ蟻鱒鳶ル。こちらの外壁は樹木を思わせるつくりになっている。