いまの建築への違和感
結婚後、後ろ向きなぼくを見かねた妻がこう言ったんです。
「あなたは大工もできるし、一級建築士なんだから、小さな土地を買って、自分の好きな建築をやってみたらいいんじゃないの」
その一言に背中を押されて、土地を探し始めたらアイデアがどんどんわいてきた。あぁ、やっぱり俺には建築しかないな、と高揚しました。そうして35歳――2000年9月、港区三田の40平方メートルの土地を不動産屋と交渉の末に1500万円で取得。4、5年かけて考えをまとめ、建設に取りかかったんです。
――蟻鱒鳶ル建設の動機のひとつになった「製図板に描いた図面がそのまま立ち現れるような建築に対する違和感」についてはどうですか?
ぼくは20代の頃、舞踏家の和栗由紀夫さんという方に声をかけられて、舞踏家としても活動していました。心臓病だし、クラスで一番運動神経が鈍い上に、リズム感もない。ムリだと思っていたんですが、誘ったのは和栗さんだから、下手くそでも俺のせいじゃないし、少しの期間やってみるかと踊りはじめた。
これが予想に反して、楽しかったんです。踊っていると自分のなかに眠っていた生き生きとした活力が引っ張り出される感覚がありました。その場その場で、即興で踊っているうち、学生時代に覚えた建築への違和感を言語化できる気がしました。
設計士と職人では使うトイレが違う
舞踏は、場や空気、一緒に踊る仲間によって、即興で変わっていきます。その場で現れる思いや考え、発想の赴くままに踊る。
一方で、一般的な建築では設計者が引いた図面通りに完成させます。建築には設計士以外にもたくさんの職人が関わっているにもかかわらず、その人たちの思いや考えが反映されるケースはまずありません。
むしろ職人たちの痕跡をすべて消して、味も素っ気もない無機質で透明な建築をつくってきた。それが良いとされていることに対する違和感は、高専の頃から抱いていました。
装飾性やデザイン性を廃し、合理性や機能性を重視したモダニズム建築は、個性的な職人の手仕事を排し、均一な建築を進めたと考えています。
一部の特権階級だけが豪華な家に住む社会ではなく、平等を重視する発想があったのは理解できますが、これ以降、対等な関係だった建築家と職人は、建築家の方が強くなり職人のこだわりや思いは建築に不要とされてしまった。本来、建築ってモノづくりのはずなのですが、その楽しさは失われてしまいました。
――それが「職人のあり方への問題意識」にもつながるわけですね。
ぼく自身も職人として修行した経験が大きいです。みんな努力に努力を重ねていっぱしの職人になる。しかしどこの建築現場でも、ものづくりの主役である職人の地位は低かった。例えば、設計士や現場監督と職人では、使うトイレも分けられる。