だからこんな奇抜なビルができた
職人は設計士が引いた1本の線を忠実に再現するだけの存在としてあつかわれていました。建築に必ず残るはずの職人の個性や、手仕事の痕跡すらも丁寧に消されていくんです。
ぼくがもっとも長く続けたのが、型枠大工です。鉄筋コンクリートビルのコンクリートを流し込む枠組みをつくる仕事です。
生命保険金には、職業ごとに異なるケガや死亡のリスクによって、受取額の上限が定められています。ぼくが働いた当時、型枠大工のランクは、F1レーサーと一緒でした。それだけ危険で技術を要する仕事なのに、なぜ、リスペクトされないのか。リスペクトどころか、汚い存在として、酷い待遇で雑にあつかわれていました。
ぼく自身は好きでやっている自覚があったので、待遇が悪くても平気でしたが、建築の現場を支える特殊な技術を持つ職人たちにもっと光をあててほしかった。
蟻鱒鳶ルの構想時、いまの建築現場が職人を大切にあつかわないのなら、俺がやるしかないという使命感を覚えました。
蟻鱒鳶ルの建築はぼくが主に作っていますが、知人の職人や建築に携わっていない普通の友人も手伝ってくれています。細かな設計図はないので、即興の舞踏のように、その日その日の思いつきやアイデア、手伝ってくれた人たちの気持ちが反映されていきます。そのスタンスは着工当時から、ずっと変わっていません。
そのせいで、このビルにはぼくの好みではない装飾や細工が随所にあるんです。ぼくが「もうちょっと考えてよ」って言っても、みんな無視して好きにやっていますから。さらにはぼくが即興でデザインした箇所も多々あります。
だからこそ、蟻鱒鳶ルが、日本のいたる所に建つ金太郎飴のように同じ外観の建物たちとは対局のビルになったのだと感じるんです。(2回目に続く)