AIに仕事を奪われないためにはどうすべきか。キャリア支援家の浅田すぐるさんは「2000年以上前に書かれた『論語』の中に、現代の働き方のヒントがある。“狂気”と呼べるほどの熱意こそが、AI時代を生き抜く活路だ」という――。

※本稿は、浅田すぐる『そろそろ論語 物事の本質がわかる14章の旅』(日本実業出版社)の一部を再編集したものです。

中国・上海の孔子寺の孔子像
写真=iStock.com/typhoonski
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論語が忌み嫌った「従順な態度」

私たちは今、AIの普及によって様々な業務が代替・代行されていく時代の渦中にいる。議事録や報告書の作成、顧客の動向分析、経理・会計業務、等々。定型的で、前例踏襲でOKな「従順な」仕事は、AIに取られてしまう。

では、「AI時代でも生き残れる人の条件」とはどんなものなのか。意外なことにそのヒントが、2000年以上前の書物『論語』にある。

読者の中には、『論語』は人としての生き方や、道徳的な、たとえば「親孝行をしろ」「目上の人には従順であれ」といった内容が載っている、時代遅れな書籍だと思っている人もいるかもしれない。

しかし、実は『論語』は前例踏襲・現状維持をよしとする「盲目的な従順さ」について批判をしている。それがわかるのが、以下の言葉だ。

[書き下し文]子のわく、郷原きょうげんは徳のぞくなり。

[現代語訳]先生がいわれた、「村で善い人といわれるものは、[いかにも道徳家に見えるから、かえって]徳をそこなうものだ」

[出典]第17「陽貨ようか」篇・第13章句

批判意識のない人間は「ただの俗物」

現代語訳だけではピンとこないと思うので、私が自分なりの解釈を見出す際に参考にした、呉智英氏の『現代人の論語』(文藝春秋)から解説を引用する。

郷原とは、その村や町で立派な人物だと常識的に思われている人である。そういう人こそ実は「徳の賊」なのだ、と孔子は言明したのである。

人が理想や志を持つ時、そこには現実への批判意識がある。与えられた現実の中で与えられた道徳だけを無批判に体現し、そのことの故に地域社会から称讃されるような人物は、孔子にとって人間がそなえるべき徳性を欠いた存在だった。それは理想も志もない、ただの俗物なのである。

疑うこともせずに前例踏襲、現状維持に安住する「従順さ=郷原」を、孔子は「賊」という非常にネガティブな言葉を用いて強く批判しているのだ。

私自身、社会人になって間もない頃、多くの先輩社員から「素直に言うことを聞け」「まずはスポンジのように何でも柔軟に吸収しろ」などと言われた記憶がある。同じような原体験がある人も多いのではないだろうか。孔子によれば、こうした助言は「郷原」的なアドバイスということになってしまう。