大河ドラマ「豊臣兄弟!」(NHK)で菅田将暉が演じる竹中半兵衛は、秀吉の参謀・黒田官兵衛と同様の立場だったとされるが、官兵衛ほど有名ではない。系図研究者の菊地浩之さんは「そもそも半兵衛は美濃の城主の嫡男であり、豊臣家臣団の中では抜群に身分が高かった」という――。

※本稿は、菊地浩之『増補新版 豊臣家臣団の系図』(角川新書)の一部を再編集したものです。

「竹中半兵衛重治像」、天正7年(竹中重時氏所有)
「竹中半兵衛重治像」、天正7年(竹中重時氏所有)(写真=PD US expired/Wikimedia Commons

秀吉が城持ちになった頃の家臣団

『松平記』では桶狭間の戦いの13年後、天正元(1573)年くらいの織田・徳川家臣団の「武辺場数これ有る衆」を掲げ、秀吉の与力よりき(信長の直臣で軍事指揮下に預けられた者)として8人をあげている(一部推定を含む)。

・美濃4名 竹中半兵衛重治たけなかはんべえしげはる、谷大膳衛好、谷兵助、加藤作内光泰
・尾張2名 蜂須賀彦右衛門正勝、佐久間弥太郎
・不明2名 宮田喜八光次、伊藤与三右衛門

当時、信長の妹・お市が嫁した北近江の浅井家が滅ぼされ、秀吉は長浜城主に抜擢された頃である。不明の2名も尾張・美濃のいずれかの出身と考えられるので、創業期の豊臣家臣団は美濃出身者が多く、尾張出身者がこれに次ぎ、近江出身者が組み込まれつつあるといったところだったのではないか。

「二兵衛」竹中半兵衛と黒田官兵衛

秀吉が織田家臣団の一員として、近江の浅井家を攻略し、中国経略で活躍した時の家臣(与力を含む)は、主に1540年代生まれである。

俗に軍師と呼ばれる竹中半兵衛重治と黒田官兵衛孝高を半兵衛と官兵衛という二人の「×兵衛」、つまり「二兵衛」と呼ぶこともあるようだ。ここでは、秀吉と同い年の加藤光泰から15歳年下の仙石秀久までを「二兵衛」世代と呼んでみた。

【図表】豊臣家臣団の生年順(1537~1552年)
※一部推定を含む 出典=『増補新版 豊臣家臣団の系図』(角川新書)を基に編集部作成

二兵衛世代は美濃出身者が多い。これに対し、尾張出身者は豊臣秀長、小出秀政、木下家定、浅野長政と秀吉の近親ばかりで、近親以外は堀尾可晴、山内一豊くらいである。

元亀・天正の1570年代、秀吉を支えていた30代の主力家臣は、美濃出身者で構成されていたということだ。しかし、関ヶ原の合戦(1600年)の頃、かれらは世代交代の時期に差し掛かり、大身の大名に飛躍することができなかった。

ちなみに、「二兵衛世代」の美濃組(竹中、加藤、一柳、仙石)は互いに閨閥を構成していない。せいぜい竹中半兵衛と加藤光泰が子ども同士を結婚させているくらいである。