サムスンから103億円の出資を受け入れる

今年創業100年を迎えるシャープは、電機メーカーの中でも旺盛なベンチャー精神が売りだった。2004年、三重県の亀山工場で量産が開始された液晶テレビ、通称「亀山モデル」は当時、苦境に立たされていた製造業・日本の数少ない成功例としてもてはやされた。

同社の経営資源を液晶に集中させ、復活の道筋をつけた町田勝彦社長(当時、現相談役)は“第二の中興の祖”と呼ばれ、町田氏の著書『オンリーワンは創意である』を、日本の製造業復活の手引書と評する声もあったほどだ。

その栄光からわずか10年足らず、日本の製造業のトップランナーと目されていた同社は今、存亡の危機にある。

昨年度から台湾のホンハイ精密工業を筆頭に、米半導体大手のクアルコム、インテルなどからの出資話が相次いでいるシャープは3月6日、今や世界一の電機メーカーとなった韓国サムスンから103億円出資(発行済み株式の約3%)を受け入れると発表した。

いったい誰が、シャープを危機に追いやってしまったのか。その“犯人”を示唆する興味深い発言がある。

3月14日、サムスンの最新スマホGalaxy S4が発表された。ディスプレイの主戦場は、テレビからスマホに変わった。(AFLO=写真)

サムスンの総帥、李健煕(イゴンヒ)会長。サムスンが液晶シェアで日本勢を抜き去りトップに躍り出た09年当時、こんな言葉を漏らしている。

「シャープが第二工場を、国内(亀山)でなく中国に建てていたら、サムスンに液晶で敗れることはなかっただろう」

シャープが2000億円を投じた亀山第二工場が稼働を始めたのは06年だが、これを海外に建てていれば、シャープは液晶の価格決定権を握り続けただろう、というのだ。

03年から始まったソニーとサムスンの液晶生産の提携に激怒し、「日本の技術を韓国に売り渡すつもりなのか」と横槍を入れたのは経済産業省だ。

当時、日本メーカーはすでに中国、韓国メーカーと戦うだけの競争力を失い、安価な労働力を求めて海外進出を本格化させていたが、経産省は様々な優遇措置を講じて日本企業の製造拠点の海外流出を食い止め、国内に留めようと画策した。