デフレ脱却を急ぐ政府が経済界に賃上げを強圧的に迫る“口先介入”という異例の展開となった今春闘は、3月半ばまでに大手企業の労使交渉を終え、ヤマ場を越えた。政府介入もさることながら、これまで「脇役」だった流通サービス大手が、製造業大手に代わって賃上げの流れを生む「主役」に躍り出たのは、これまでの歴史を大きく変える出来事だった。
政府要請に応じるように、コンビニ大手のローソンが真っ先に20代後半~40代社員の一時金3%上積みに手を挙げ、流れを決定付けた。これを契機に、流通サービス大手が堰を切って賃上げに動き、流通二強は業績連動型の一時金に加え、セブン&アイ・ホールディングスが傘下の主要企業で、イオンは子会社イオンリテールで、製造業大手が「論外」としたベースアップ(ベア)実施に踏み切った。家具販売大手のニトリホールディングス、牛丼チェーン「すき家」を展開するゼンショーホールディングスもベアで応じた。
しかし、流通サービス大手が一斉に賃上げに走ったのは、政府要請以外の要素が大きい。流通にとっては、2014年4月の消費税率8%引き上げを控えた個人消費の落ち込みが最大の懸念材料だ。このため、消費の現場から率先して賃金を底上げし、消費の腰折れを防ごうとの判断に傾いた。さらに、製造業に比べて低い賃金水準を上げ、人材獲得や社員の士気向上に繋げる戦略的な意図もあって、 「同業他社に乗り遅れてはならない」(大手流通関係者)との競争原理が背中を押した。人手不足が深刻なIT業界で、ヤフーが大幅な処遇改善に動いたのも戦略的賃上げの典型だった。
賃上げによる消費喚起は、ほぼ1世紀前の逸話を想起させる。1914年、米自動車大手のフォード・モーターの創業者、ヘンリー・フォード1世が、初の大量生産車「T型フォード」拡販のために生産現場の時給を倍以上の5ドルにし、社員が「T型」を購入できる水準に引き上げた。単純な比較は難しいが、今春闘はこの逸話を思い起こさせる。
流通サービス大手の賃上げを呼び水に、製造業大手もトヨタ自動車などが一時金で満額回答した。が、そうした薄日が差したのは円高修正を享受できた企業に限られ、むしろ「主役」の存在感は薄れた。その意味で、政府の思惑は幅広く浸透したとは言えず、「アベノミクス」の効果が限定的に終わったのも現実だ。