資生堂は、末川久幸社長が3月31日付で退任し、前田新造会長が4月1日付で社長を兼ねるトップ交代に踏み切る。2011年4月、52歳で就任した若手のエースがわずか2年で突然降板、実力会長が再登板する人事は異例以外の何ものでもなく、「負のスパイラル」に見舞われる名門の危機的状況を象徴している。
今回のトップ交代は、末川社長による辞任申し出を受け、同社の社外取締役らで構成する役員指名諮問委員会が前田会長を後任に推挙。福原義春氏ら社長経験者の3相談役の了承を得て固まった。
末川社長退任の表向きの理由は「健康上の問題」。3月11日のトップ交代発表の記者会見で、末川社長は「体調に不安を感じ、全力疾走で挑むのが難しいと感じた」と説明した。
しかし、業績立て直しが一向に進まず、同社の稼ぎ頭だった中国事業が日中関係の悪化で失速するという事態も加わり、末川社長が責任を取ってみずから辞任の道を選んだとの見方は否定しようもない。実際、末川氏は会見で、「四半期ごとの(業績見通しの)下方修正が精神的に重かった」と述べ、業績不振が辞任の意向を固めた一因だったことも滲ませた。
ただ、末川社長は今年1月末、主力の鎌倉工場(神奈川県鎌倉市)の閉鎖など大型リストラ策を打ち出したばかり。そのうえ人心一新もなく、時計の針を戻すような前田会長の再登板で復活を期す姿には、名門ならではの見えざる重圧に「末川社長が“詰め腹”を切らされた」(業界関係者)との観測も上がる。
異例の形で社長を兼務する前田会長は、「後継者が育つまで」と、あくまで“リリーフ役”を強調する。しかし、中国への事業シフトなど同社が取り組んできた戦略は、前田会長が社長時代に推し進めてきた。末川社長が、前田会長との二人三脚で「前田路線」を踏襲してきたことに疑いの余地はない。
その意味で、前田会長兼社長には、みずから敷いてきた路線に幕引きする“自己否定”が絶対条件となる。圧倒的なシェアを握る国内も12年3月期まで売上高が6期連続マイナスなうえ、中国事業の失速が追い討ちをかける「負のスパイラル」に見舞われる中、同社を待ち受けているのは、茨の道だ。