再借金地獄
毎月、お金は恐ろしいスピードで消えていった。
義両親と暮らすための二世帯住宅の住宅ローン返済に、自分たち(夫婦と子供2人)の生活費。それに加えて、「一人っ子で、大切に育ててもらったから恩返ししたい」という教員である夫(39歳)の要望により義両親の生活費(光熱費など)まで負担していた。
夫の赴任地から生まれ育った地元に戻るまでの2年間は賃貸住宅暮らしで家賃の支払いもあり、直近では想定外の次男の出産も……。北海道在住の森山吹子さん(仮名・当時36歳)は「火の車の家計」に七転八倒していた。
同居から2年目。ついに貯金が底をつく。
「義両親とは生活リズムが違います。私自身、義両親に好かれていないのも分かっていました。しかし、長男は小学校1年生、次男は2歳になったばかりです。それなのに義父は、子どもたちに『うるさい!』と怒鳴り、ひどいときは長男のことを『気狂い』と罵りました」
長男は小2のときにADHDと自閉スペクトラム症と診断され、発達外来の受診と放課後デイサービスで勉強のフォローを受け始めた。次男も3歳のときに全く同じ診断がおり、発達外来、市の相談室、療育、放課後デイサービスに通っている。
「地元に戻ってきたとは言え、(私の中高時代の)友だちは散り散りになっており、ママ友もいません。この頃の夫は子どもたちの障害への理解も薄く、仕事や職場の飲み会や旅行、趣味の車(クラシックカー)を優先し、ほとんどワンオペの子育てでした。私が高熱を出そうが、嘔吐してトイレから出れなくなろうが、『(自分が教科担当する)○時間目の授業が終わるまで何とか耐えて!』と放置されたことは数え切れません」
トラックの運転手をしていた義父(80歳)は、60歳の頃に脳梗塞を起こした影響で左半身麻痺になり、着替えや食事、トイレや入浴の世話はすべて義母(68歳)がやっていた。頑固な義父は、介護サービスの一切を拒否したのだ。もしかしたら、身体が不自由になった苛立ちを、元気に遊び回る孫たちにぶつけていたのかもしれない。
そうした事情があったとしても、嫁の森山さんにとっては、義父は大きなストレス源だった。自分より身体の大きい義父を一人で介護する義母を放ってはおけず、おのずと義母のサポートを務めることとなる。
義母は55歳のときに食道がんが見つかり、食道と胃をつなげる手術をしているうえ、72歳の頃から狭心症を患っていたため無理はできない。気付けば森山さんは、大好きなブランドの洋服を買うことで、ストレスを解消するようになっていた。
「服を買うときは高揚感に包まれ、その一瞬だけ、幸福感に満たされます。でも帰宅すると、罪悪感に苛まれて……。夫にバレないように隠したり、タグ付きのままオークションへ出したこともありました。生活費も足りないのに、『欲しい!』と思ったら、寝ても覚めても欲しくてたまらないのです。支払いはカードでして、先延ばし先延ばしにしていました」
やがて、限度額10万円のA社のカードキャッシングだけでは足りず、B社を申し込む。人生2回目の借金生活が始まった。独身時代に230万円の大借金をつくったが、両親に立て替えてもらったことがあった。
義両親との同居から2年目の夏頃、複数社からのキャッシングで、借金は合計80万円になっていた。それを思い切って打ち明けると、夫はこう言った。
「ごめん……。両親の光熱費は変わらずこちらで負担する。そのかわり、車はもう乗らない」
森山さんの借金については責めず、収入と支出のバランスを見て、やりくりは難しかったと納得してくれたようだった。夫は、「車は、手放しはしないが乗るのをやめる」と言った。
当時の森山家にまとまったお金はない。仕方がないので、長男の学資保険を解約することにする。同時に、この年からボーナスは夫が管理し、子どもたちの教育費はボーナスから貯めることにした。