家庭は相互の暴力が吹き荒れた。アルコール依存症の父は母を、両親からネグレクトされた長男は父と弟を、母親を守るために次男は父を、殴り蹴った。ある日、長男は無防備な父の顔めがけて踏み台を投げつけた。大人になった息子たちの一方は非行に走った挙げ句、精神的に病み、もう一方は高校中退してコンビニで働き、必死に自立したが、母親から無心され続けた――。(後編/全2回)

父親の強制送還

現在関東地方在住の知多翔平さん(仮名・30代)が中学生になった頃、高校生の兄は、40代後半の飲んだくれの父親に暴力を振るうようになっていた。関係もすっかり冷え込み、険悪化した両親もしょっちゅう取っ組み合いのケンカをしていた。

そうした場に居合わせた知多さんは、非力な母親(43)の味方をする。酔っ払って暴れている父親から母親を引きはがすために、しかたなく殴って黙らせることもあった。

「『酒を飲まないでくれ』『学校だってあるんだ。寝させてくれ』と言葉で伝えても、父は何も変わってくれない。暴力で父をおとなしくさせるのは、早く楽で、確実な方法でした。でも僕が暴力を振るったのは、『効率化』だけが目的ではありません。うちが貧乏なのも、母が大変なのも、夜に静かに眠れないのも、全部『身勝手でやりたい放題な父』のせいだと思い、父のことが憎くて堪らなかったんです」

しかし知多さんは、父親を憎めば憎むほど、かつて父親を好きだった自分が思い返され、罪悪感に苦しんだ。その罪悪感を打ち消すように、「父は僕にもっとひどいことをしているんだ! だから殴られて当然だ!」と暴力を正当化しようとする自分がいた。

そんなある日、知多さんにとっては特に手応えのない一撃に、父親が崩れ落ちた。

「人っていうのは、こんなに簡単に壊れてしまうのかと思い、暴力を振るうことが怖くなりました……」

それ以降、知多さんが父親に暴力を振るうことはなくなったが、3つ上の高校生の兄の暴力は勢いを増していた。

最初は兄も知多さんと同じ、夫婦喧嘩の仲裁をしようとしていた。しかし気付けば兄は、「殺してしまうのではないか?」というほどの激しい暴力を振るうようになっていたのだ。

殴り合う二人の男性のシルエット
写真=iStock.com/Maica
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ある晩、事件は起こった。珍しく父親は静かに布団で寝ていた。その無防備な父親の顔面めがけて、兄は木製の踏み台を投げつけたのだ。父の鼻は折れ、鼻血が吹き出した。寝ていた父親は何が起こったかわからない様子でうめいていた。知多さんは絶句したが、兄は無表情で自室に去っていった。

それでも父親は、病院へ行かなかった。それまでことあるごとに母親に離婚を勧めてきた知多さんと兄だったが、ここでようやく母親が動いた。

「『このままでは兄は父を殺しかねない』『息子を人殺しにしたくない』と思ったのでしょう。母はようやく父と離婚し、父は実家へ“強制送還”されました」

知多さんが中学2年の夏だった。