親にネグレクトされた兄は、親から溺愛される弟に嫉妬し、幼少時から殴る蹴るの暴力を働いた。そんな中、ラーメン店従業員の仕事をやめた父親はアルコール依存症になり、母親は不倫に走った。その後、不登校になった兄はさらに荒れて万引きで補導され、同じ頃、行方不明になった父は浜辺で倒れているのが発見された。そばにあったのは焼酎の瓶と打ち捨てられた原付バイクだった――。(前編/全2編)
ある家庭では、ひきこもりの子どもを「いない存在」として扱う。ある家庭では、夫の暴力支配が近所に知られないように、家族全員がひた隠しにする。限られた人間しか出入りしない「家庭」という密室では、しばしばタブーが生まれ、誰にも触れられないまま長い年月が過ぎるケースも少なくない。そんな「家庭のタブー」はなぜ生じるのか。どんな家庭にタブーができるのか。具体的事例からその成り立ちを探り、発生を防ぐ方法や生じたタブーを破る術を模索したい。
今回は、アルコール依存症の父親と、そんな夫をどうすることもできず、家計を支える母親、そして親に隠れて暴力を振るう兄を持つ現在30代の男性の家庭のタブーを取り上げる。彼の「家庭のタブー」はなぜ生じたのか。彼は「家庭のタブー」から逃れられたのだろうか。
知多家の成り立ち
現在関東地方在住の知多翔平さん(仮名・30代)の両親は、北海道の漁師町で育ち、お見合いに近い形で出会った。当時、漁師と付き合っていた知多さんの母親に、母親の兄が、「お前みたいな人間には、優しく堅実な人間が良い。フラフラしていないで、サッサと嫁げ」と言って自分の友人だった父親を勧めてきたのだという。
「母の父は早くに亡くなったので、母の家の権力者は長男である伯父でした。当時、その町の漁師の仕事は危険であり、収入も不安定だったため、母は交際中の男性と別れ、父と結婚したそうです。父は東京にある電化製品の工場で働いており、母もすぐに上京しましたが、父は母が来る少し前に仕事を辞めていて、『結婚当初は大変だった』と母は言っていました。父は優しいけれど、堅実とはほど遠い人でした。父も母も仕事のあてはなく、生活費を捻出するために、新婚生活用にそれぞれの家が用意した家財を売り払ったと聞きました」
知多さんは父親の正確な年齢を知らず、母親より5〜6歳上と認識していた。両親が何歳で結婚したかも知らず、ただ母親が27歳のときに知多さんの兄を出産したということだけは知っていた。その3年後、知多さんが生まれた。
知多さんが物心ついた頃、父親はラーメン屋で働いていた。母親もいつからかはわからないが、時々配達の仕事をしていた。まだこの頃は、知多家は穏やかだった。