父親が働かなくなる

知多家が引っ越しした理由は、それまで父親が働いていたラーメン屋の経営が悪化し、父親を雇い続けることが難しくなった店主が、別のラーメン屋を紹介したからだった。

しかし新しいラーメン屋のオーナーとそりが合わなかった父親は、だんだん休みがちになり、もともと好きだったアルコールの量が増えていった。

アルコールのショットグラスを持って頭を抑える人
写真=iStock.com/ZzzVuk
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ある日、父親は家の階段から転げ落ち、腰を痛めてしまう。母親はアルコール依存症を疑っており、腰を痛めたことと併せて病院にかかることを勧めたが、父親は拒んだ。なぜなら、父親は酒が入ると酔っ払っていた間の記憶がさっぱりなくなるからだ。

腰を痛めてから、父親は仕事に行かなくなった。知多さんが小学校5年生のときのことだ。家計のピンチを救うために、母親は友人知人からお金を借り、小さなスナックを始めた。昼間から深夜まで働き詰めの生活が続いた。

知多さんと兄は酒に溺れる父親が嫌で、何度も母親に抗議した。それでも母親は、「お父さんは思いやりのある優しい人だから」と言って父親をかばった。

「『優しい人だから待ってあげて』という意味だと僕は解釈しました。父に対する情なのでしょうが、僕は納得ができませんでした。しかも、母の機嫌が悪い時は『優しいけど行動力が全くない』と愚痴を聞かされました。気分によって発言が変わる母に混乱していた記憶があります。それでも結局母は父をかばい続けました」

その年の夏休みのこと。知多さんは夏休みの自由研究で、父親の観察日記を学校に提出。酒を飲み始める時間、ペース、量など、全てを細かく記録したものだ。父親は、溺愛する息子が自分について回ることを喜んでいた。後日、母親は学校に呼び出された。

「母はとても悲しそうな顔をして『つらい思いさせてごめんね』と言いましたが、僕はただ、『面白いかな?』と思ってやったことなので、自分の浅はかな行動を申し訳なく思いました。母は父に刺激を与えることを避けていた節があるので、父はこの件について全く知らないと思います」

同じ頃、兄は万引きで補導され、母親は警察に呼び出された。