ケンカの絶えない両親は、ともに精神疾患にかかっていた。しつけを受けなかった女性は学校の担任教員から嫌われ不登校に。それから約40年後、バツイチで実家に戻ってきていた女性は高齢の両親をW介護することになる――。(前編/全2回)
ブランコで遊んでいる子供の足と影
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この連載では、「シングル介護」の事例を紹介していく。「シングル介護」とは、主に未婚者や、配偶者と離婚や死別した人などが、他に兄弟姉妹がいても介護を1人で担っているケースを指す。その当事者をめぐる状況は過酷だ。「一線を越えそうになる」という声もたびたび耳にしてきた。なぜそんな危機的状況が生まれるのか。私の取材事例を通じて、社会に警鐘を鳴らしていきたい。

菓子職人を目指す父親

東北地方在住の下島麻鈴さん(仮名・50代)の父親は、和菓子職人を目指していた。父親26歳のとき、同じ年齢の女性と結婚し、翌年男児に恵まれたが、女性は病死。男児は女性の親族と養子縁組し、引き取られた。

「私は腹違いの兄とは一度も会ったことがなく、父も音信不通だそうです。当時父はとても貧しく、自分の母親を数年前に亡くしており、身内のサポートを受けるのが難しい状態だったため、子どもを手放してしまったことをずっと悔いていたようでした」

父親は30歳のときに和菓子職人になるのを諦め、知り合いの紹介で市役所に勤め始めた。同じ年、お見合いで10歳下の女性と出会い、結婚。翌年下島さんが生まれた。

「父の前妻は綺麗な人だったらしく、死別という状況が母には重く感じられ、ずっと自分は父にとって“2番手”だと思い、引け目を感じていたようです」

下島さんが物心ついたとき、両親の仲は良くなかった。

「もしかしたら母は、発達障害や軽度の知的障害があったのかもしれません。両親は会話が噛み合わず、もともと短気な父はいつも母を怒鳴っていました。母は自分を守るために嘘をついて誤魔化すところがあり、『お前はどうしてそんな嘘をつくんだ』と言って泣いている父の姿を幾度も見ました。今のように情報やサポートもない時代ですので、理解に苦しみ続けていたのかもしれません。父は30歳のときに心身症とうつ病と診断されてから何度か入院しており、母も職場でいじめの対象にされ、うつ病を発症して何度か入院しています」

母親がうつ病を発症したのは結婚後に引け目を感じていたことや職場のいじめが原因かもしれないが、父親が30歳のときに心身症とうつ病と診断されたのは、最初の妻との死別と、子どもを手放してしまったこと、そして菓子職人の仕事が上手く行っていなかったことが大きな要因のように思われる。

下島さん自身も、クラスメイトや教師、親族たちと上手くコミュニケーションがとれず、いつも一人でいた。

小3の頃、太っていて身だしなみにも無頓着だったという下島さんは、クラスメイトのみならず、担任の教師からも嫌われ、容姿や勉強ができないことを揶揄されて不登校になった。

「父は公務員でしたが決して裕福ではなく、母は働きに出ていて家計を助けることで精一杯だったため、子育てまで手が回らなかったのだと思います。幼い頃は躾られた記憶もなく、身だしなみを整えるということも知りませんでした」

初めて友だちの家に遊びに行ったとき、友だちの親から、「よその家に上がったら、『こんにちは、お邪魔します』と言うんだよ」と教えられたという。