現在、50代半ばの娘はこの10数年間、両親の介護に追われてきた。「色ボケ」化した父親、持病のうつや腰痛が悪化した母親。そのケアに奮闘した娘自身もがんに3度罹患するなど平穏な時間は訪れなかった。1000万円あった両親の貯金は完全に枯渇し、借金や娘夫婦が持ち出しをして生活を維持した。「どう考えてもここから自分たちの老後資金を貯められそうにないので、老後破綻を覚悟している」という娘の心境とは――。(後編/全2回)
黄色いボウルの中の即席麺
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怒涛の介護生活

突然、両親2人の介護が始まった。

78歳の父親は右膝の手術後、全身麻酔から覚めた瞬間からせん妄が激しく、精神錯乱状態が続いた。入院中の父親の看病をしていた68歳の母親は、いなり寿司を喉につまらせ、窒息。一時は心肺停止し、ダメージが残った。

入院希望者多数という理由で病院から追い出されるように両親を自宅にひきとった娘の下島麻鈴さん(仮名・当時46歳)さん。まず父親を精神科に連れて行き、それと並行して地域包括センターに連絡をすると、地域包括センターの職員が来てくれた。ケアマネジャーが決まり、介護認定を受ける方向で動き始める。

「膝のリハビリが不十分な状態で退院したため、入浴のときは困りました。慌てて楽天でお風呂用の椅子や浴槽に入れる台、バスボードなどを買った記憶があります。介護保険で購入すれば1割負担だったのですが、当時はそれを待てない状況でした」

精神科を受診した結果、父親はアルツハイマー型認知症と診断。要介護1と認定され、訪問介護、デイサービス、デイケア、ショートステイ、訪問歯科の利用を開始。その他にも、障害者支援制度を使い、ヘルパーさんが散歩、カフェ、ドライブに連れて行ってくれる外出援助の利用も始めた。

父親は、明らかに今までと違っていた。

・常にソワソワと落ち着かない様子で家の中を歩き回り、タンスを開けたり物を引っ張り出したりしていた

・膝のリハビリが十分ではないにもかかわらず、夜中に一人でコンビニへ行っておやつを買い、食べてはゴミを庭に埋めて“証拠隠滅”を計っていた

・近所の庭に勝手に入ってトマトを食べていた

・とにかく落ち着かないらしく「どこかへ連れて行ってほしい」と言われ昼夜問わずドライブに行かされた

・食欲が止まらなくなり、勝手に米を炊いて食べたり、大量の砂糖をカップに入れて水で溶かして飲んだり、洗面器で袋入りラーメンを大量に作って食べたり、非常食にストックしてあった缶詰を全て食べ尽くしてしまうなどした

一方、母親は、一命はとりとめたものの、もともとあったうつ状態が悪化し、持病の腰痛や窒息時の転倒で身体状況が低下。家事をすることが難しくなる。要支援2と認定され、訪問介護やデイサービス、訪問看護、訪問者リハビリ、訪問歯科、訪問医療マッサージなどの利用をスタートした。

「私は実家から歩いて1〜2分のところに住んでいましたが、親子関係が良くなかったため、介護が始まるまでは用があるときしか会っていませんでした。私にとっての母の介護が始まったきっかけは窒息・転倒ですが、その前のことはわかりません。父がサポートしていたから、母の生活能力の低下が目立たなかっただけだったのかもしれません」